茶畑に囲まれた安積親王陵。
安積親王墓の特徴
和束の茶畑に囲まれた小高い丘に位置しています。
安積親王の墓はその歴史的背景が魅力です。
周囲をぐるっと一周できる散策路が整備されています。
和束の中心にバスで来ると、上の部分だけ帽子のように森が残っている和束のシンボルとも言える茶畑の丘が見えてきまます。いつもこの場所を見ると「和束に来たな」という気持ちになりますね。さて、茶畑の丘の近くまで行くと「和束墓参道」と書かれたプレートのある階段がありますが、その階段を上がって石畳の道を真っ直ぐ行くと石鳥居のある場所に着きます。石鳥居の近くの掲示を見ると「和束墓」とありますので、帽子のような森がある丘が宮内庁の管轄の陵墓であることがわかります。宮内庁ということは、天皇家に縁のある者の墳墓になりますけど、ここは聖武天皇の息子の安積親王の墓だと伝わっています。彼は17歳で亡くなり天皇にはならなかったのですが、その早い死を惜しんだ古代の有名な歌人、大伴家持が歌を残しており、そこに和束の名前も出てきています。「はしきかも皇子の命のあり通ひ見しし活道の道は荒れにけり」この歌の中に安積親王がこの和束(活道)をよく通ったとありますから、親王にとってここの場所は、特別なものだったのでしょう。ここに墳墓が作られたのも安積親王の意思だったのかもしれません。どちらかというと実際に登った景色よりも、遠くから丘を眺めた方が印象に残る場所ですね。とはいえ、バスの待ち時間などで一度は登ってみるのをおすすめします。
お茶畑のてっぺんにあります。ここから辺りを見渡すとお茶畑がよく見えます。
茶畑を登った山の上にあり和束の町を一望。
近代に入り、南朝方を顕彰する流れのなかで整備されたっぽい。地元では別の名前で呼ばれてるらしいいし。
茶畑の中に何かあったので近づいてみたらお墓でびっくりしましたw ぐるっと一周出来ます。宮内庁管理の看板がありました。
農家の邪魔になるので、来るな!と言わました、
幼少の頃は、太鼓山って言っていたなぁ。
茶畑に囲まれた小高い丘の上の陵です。爽やかな風に吹かれて眺める景色は美しい。
2018.04.28.(土) 12:40 初墓参 (奈良斑鳩人)御陵は県道から脇道を少し入った 周りが茶畑に囲まれた中に有り 真っ直ぐに延びた低い生垣に挟まれた 敷石の道を100m程進むと 突き当たりにコンモリとした小山の様に有りました墓参をすませ 周辺を歩くと御陵の周囲は石柵で囲まれ ソノ外側に道が設けられ珍しくも 外周の全てを巡っていましたまた御陵は 1878年(M.11)に発見され宮内庁が安積親王の墓と認定しましたがいつ頃に造られたかは判然とはせず径が8mと小さな円墳で 高さも1.5mと低いモノでしたちなみに 安積親王(アサカシンノウ)は 聖武天皇の第二皇子で728年(奈良時代中期)に生まれ744年に亡くなり17歳と短命で 死因には諸説あるモノの 不運な生涯を閉じられた方トノ事ですお墓は長閑な茶畑の頂きに有り イキイキとした新緑の芽吹きが 景観を更に美しいモノにしていました多分 安積親王サンも いつもコノ風景をご覧になって おられるのでショウ!
名前 |
安積親王墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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少し離れた場所からですが位置的に親王墓だと思います。