尼崎市・故六百三十餘人之碑で歴史を感じる。
故六百三十餘人之碑の特徴
故六百三十餘人之碑は片岡城落城の歴史を刻む石碑です。
信長の命で処刑された男女の悲惨な歴史がここにあります。
石碑を訪れ、合唱して歴史を風化させない努力をしています。
■故六百三十餘人之碑尼崎市にある石碑。七松八幡神社の境内にある七松城落城の故六百三十餘人之碑。建立:平成4年 (1992) 11月吉日●石碑は七松八幡神社の境内北東側にあって南向きに配されている。建立から三十年余りと新しい石碑。旧石碑を継いだ石碑かも知れない。七松城落城にて処刑となり亡くなった武士及び家族、故六百三十余人之碑。1578年織田信長に叛旗を翻した荒木村重。敗れた村重の家臣や一族、家臣の家族等がこの地で処刑をされた。村重本人は、本能寺の変まで逃げ切り生き残る、その後に秀吉には許されたようで、大阪で茶人になる。
片岡城落城の折、城内に残された男女が信長の命で処刑されたところ。『信長公記』に「十二月十三日、辰の刻に、百二十二人、尼崎ちかき七松と云ふ所にて、張付に懸けらるべきに相定め、各引き出だし候。さすが歴々の上臈達、衣装美々しき出立、叶はぬ道をさとり、うつくしき女房達、並び居たるえお、さもあらけなき武士どもが、請け取り、其の母親にいだかせて、引き上げ貼張付に懸け、鉄砲を以て、ひし貼と打ち殺し、鑓・長刀を以て差し殺し、害せられ、百廿二人の女房、一度に悲しみ叫声、天にも響ばかりにて、見る人、目もくれ心も消えて、かんるい押さへ難し。」と記す。
| 名前 |
故六百三十餘人之碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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身近にこんな悲惨な歴史がこの事実風化させないように また不定期ではありますが石碑に合唱しにいかけて頂いてます。