明治誕生の特異な城郭、園部城。
園部城跡の特徴
日本最後に建築された園部城は歴史的背景が特徴的です。
広々とした駐車場があり、ゆっくりと散策が楽しめます。
学校の門として使われているため、ユニークな景観が広がります。
新聞に紹介記事が有り、興味が湧いて行きました。高校の正門が元お城の門、素敵だなあーと思いました。生徒さんには、将来の社会の御殿様、お姫様を目指して欲しいと思いました。休校日なので横のくぐり戸から入りました。入って直ぐ左手に残り少ないお城の建物が有りました。お城の説明や学校の説明が掲載されたりしていました。新聞記事を多分見て来られたんだろうなという方々が来ておられました。そばに公園駐車場があり、無料です。助かります。見に行きたい方は、見学出来るか確認してから行かれると良いと思います。横の市役所敷地にお城の天守閣のような建物が有り、市長の席はそこに有るのかと聴くと、ないそうです。
明治になってから建築許可が出て、建てられた日本最後の城郭。現在は高校の敷地となってますが、城門と櫓を見ることができます。
園部城は江戸時代の大半を園部陣屋として過ごしました。園部藩の藩庁が置かれていましたが、石高は3万石弱に過ぎず、城主小出氏も無城主格しかなかったからです。天守閣どころか櫓門の建築すら江戸幕府に認められませんでした。幕末の混乱の時代に粘り強く交渉し、櫓や櫓門の設置を徳川慶喜の内諾を得ましたが大政奉還で沙汰止みに。その後、明治新政府の許可を得て完成したのはなんと明治2年(1869年)。その3年後には廃藩置県、廃城令で園部城は解体の憂き目にあいます。ほとんどの建物は解体され、元陣屋ということもあり石垣すら残っていませんが、明治2年に完成した巽櫓とその櫓門だけが立派に府立園部高校の正門として鎮座しています。全国で本物の櫓と櫓門が学校の正門というのはここだけではないでしょうか。園部城の遺構はこれだけしかありませんが、そのドラマチックな歴史に敬意を表して✩4とします。以上の経緯から園部城は「日本最後の城」とも言われています。
園部藩小出家3万石の居城です。明治維新後に陣屋から城に改築された珍しい城趾です。門と櫓が残っており、外から眺めることができます。(敷地は学校のため入れません。)すぐそばには、南丹市立文化博物館があり、園部藩の歴史に触れることができます。
事実上日本最後築城(陣屋改築)と言うところ、城門が校門になっておりユニークな作りになっている点から星5にしました。あと〒629-0131 京都府南丹市八木町北屋賀国府26の安楽寺には移築太鼓櫓が現存しています。
日本最後で建築された城ということで、歴史的なものは浅いですが、気軽に見られる城ということがいい点です。カワセミの巨大像も見どころです。
城跡となっていますが、実際行ってみると、学校の門になってます(笑)
園部城の歴史1619年、外様大名の小出吉親が但馬国出石城より移封され園部藩が誕生します藩主の小出氏は外様大名でしたが明治維新を迎えるまで約250年にわたり一度も国替えがありませんでした無城主格である小出氏の居所は城ではなく陣屋と呼ばれ、園部陣屋には天守や櫓の建築も認められませんでした幕末動乱の中、京都に近いという園部の地理的状況もあり園部藩は幕府に新規築城を願い出ますが無城主格のため却下されます引き続き交渉を行った結果、徳川慶喜より内諾を得られますが直後に大政奉還となります改めて明治新政府より許可が下り櫓門3ヵ所、櫓5ヵ所が建てられ堀も造成されて園部陣屋は園部城へ生まれ変わりました。
バイク二人旅。本物のお城跡はこっちみたいです(;^ω^)。38みねちゃん。
名前 |
園部城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.6 |
周辺のオススメ

別名薗部城、園部陣屋。日本城郭史で最後の建築物。小出氏の居城。天守閣はなく、現在は高校内に巽櫓と櫓門が残されてる。隣の公園に南丹市の国際交流会館が天守閣風の外見をして建ってる。