聖武天皇も感動した廬舎那仏。
智識寺址碑の特徴
740年に聖武天皇が立ち寄った歴史の深い史跡です。
東大寺の大仏建立のきっかけとなる廬舎那仏像が安置されていました。
河内六寺のひとつとして、智識寺の遺構が今に残っています。
カタシモワイナリーの前にある小さな石碑がそれです。智識寺は仏教を篤く信仰し、お寺を造ったり、仏像を造ったりするために、自分たちの財産を寄付した「知識」と呼ばれる人々によって建てられたお寺の一つです。東塔と西塔のある薬師寺式で高さ約18mと伝わる巨大な盧舎那仏もあるかなり大きな寺院だったようです。このような巨大な寺院が国によってでなく、知識の人々にはよって建てられたとは本当に驚きですね。出土した瓦から創建は飛鳥時代の終わりごろと考えられ、奈良時代には大寺院として栄えたようですが、平安時代には衰退し、室町時代の頃には廃絶してしまったようです。かつての大寺院も今や石神社に残る東塔の心礎といくつかの礎石のみ。あの18mの盧舎那仏はどうなってしまったのでしょうか?是非知りたいですね。
740年、聖武天皇が難波宮へ行幸される途中、こちらの知識寺に立ち寄り、こちらに安置されていた1丈6尺(16尺)の廬舎那仏像に出会い感激されたことが、東大寺に奈良の大仏を造立するきっかけになったそうです。そして、743年に大仏造立の詔が紫香楽宮で発布されました。全然知りませんでした。
740年、聖武天皇が難波宮へ行幸される途中、こちらの知識寺に立ち寄り、こちらに安置されていた1丈6尺(16尺)の廬舎那仏像に出会い感激されたことが、東大寺に奈良の大仏を造立するきっかけになったそうです。そして、743年に大仏造立の詔が紫香楽宮で発布されました。全然知りませんでした。
「業平の道/中河内歴史探訪の道」巻二十二の一の七 柏原市太平寺智識寺跡(ちしきじあと)歴史資料館 資料No.14智識寺は、東大寺の盧舎那仏建立のヒントになった仏教寺院とされています。『続日本紀』という古典には、聖武天皇が天平12年(西暦720年)、大和の国から難波への行幸の際にこの寺院に立ち寄り参拝され、東大寺にも、と発案されたといいます。智識寺跡の東塔から出土した『心礎』は、現在南東に位置する石神社の境内に移されおり、柵越えではありますが間近で見ることができます。次は、「清浄泉」、その後その心柱が保存されている『石神社(いわじんじゃ)』に参りましょう。ここからすぐです。ワインを飲んでからでもOKです。
「河内六寺」のひとつ智識寺の東塔の中心の柱(心柱)を支える礎石がこのあたりにあったという。この塔心礎(とうしんそ)の柱穴の直径は122cmあり、この上に建てられた塔は高さ48.8mの五重塔であったと推定されている。
智識寺は、現在の太平寺の町に存在した大きなお寺だったそうです。東塔の礎石となっていたものが、石神社の境内にあります。
| 名前 |
智識寺址碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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2025年8月11日に訪れました。聖武天皇と皇后(後の孝謙天皇)が、天平12年740年にここにあったとされる知識寺の盧舎那仏を礼拝し、東大寺の大仏建立を思い立ったたいう言い伝えがあるそうです。知識寺は、東西二塔を持つ薬師寺式伽藍配置の寺院だったと言われています。東塔の塔心礎が出土し、近くの石神社境内に移されました。