賑わい戻る長尾街道の交差点!
阿保茶屋跡の特徴
中高野街道と長尾街道の交差点に位置する史跡です。
かつては賑わった茶屋が並んでいた貴重な歴史を感じます。
明治から大正時代末の『茶屋竹』があった場所として有名です。
石碑のみです。
中高野街道と長尾街道が交差するかつての交通の要衝…昔、昔はこの辻周辺にたくさんの茶屋があって賑わってたそうじゃ…明治から大正時代末にかけて広さ1000坪を誇る大きな旅館『茶屋竹』がこの辻にあったんじゃ…【阿保茶屋】の名で親しまれてたそうなんじゃ…
葛井寺(ふじいでら)方面へとお参りする長尾街道と、高野山方面へとお参りする中高野街道との交差点で、現在の大阪市内にある難波宮から南へと続く難波大道と共に条理の起点でもあった場所らしく、幾つもの茶屋が存在して賑わっていたそうです。茶屋の碑は交差点の南西角付近にあります。大きく目立つのは松原村から出兵した日露戦没記念碑ですが、柵を隔てた北側に説明書きもあります。長尾街道についての詳しい説明の碑は、松原郵便局の東側にあります。
名前 |
阿保茶屋跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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長尾街道と中高野街道の交差点。近世はさぞ多くの旅人や荷車が行き交ったことだろう…⁈