京都・頂妙寺で歴史と出会う。
日蓮宗 洛東本山 頂妙寺の特徴
創建は文明5年、歴史ある日蓮宗のお寺です。
秋の訪れに圧巻の銀杏が黄金色に輝く境内です。
仁王門通りに面し、ゆったりとした空間で探訪できます。
インバウンドのお客様を茶道体験という事でお連れしました🚍️バスは奥の本堂前での駐車です🅿️5月下旬の昼前で ほぼ30℃近くの暑さ…🥵若干風が吹いているので 何とか車内で待機出来てます😅
ヒト気はなかったが、ネコ気はありまくりだった。なぜなら入ると黒猫が1匹、2匹、3匹とどんどん出てきたから。猫好きには嬉しいが。ヒトはほとんどおらず静かな寺院内で座って猫をずっと眺めているとゆっくり近づいてきたので自分も近づいてみると怖がられました笑。
京阪三条駅11番出入口を北へ川端通を仁王門通で東へ1473年(文明5年)に日祝が創建した、足利将軍家の祈願所になっていたお寺です。毎月八日の午後二時より、鬼子母神祭がありますので、どうぞお参り下さい。それと、鐘楼の向こう側(西側)には、秋山自雲霊神がお祀りされています。秋山自雲霊神とは・・・・・・・・・・江戸時代に、現在の東京都台東区周辺に、岡田孫右衛門という熱心な日蓮宗の信者がおり、長年痔の痛みに苦しんでいました。そして、自分が亡くなった後は、痔で苦しむ人々を救うと誓願を立て、死後は痔病平癒の御利益で知られるようになった人物です。もし、ご自分の周りに、痔でお悩みの人がいましたら、是非とも、痔の神様である秋山自雲霊神のことを教えてあげて下さい。
日蓮宗のお寺さま頂妙寺洛中の寺院にしてはひとかげも少ないので静かに境内を歩けるかと入ってみました境内西側には鳥居あって北側に妙見宮南側には菊神稲荷神社のお参りができましたと……賽銭箱の横にはクロネコどのが……思わずシャッターですそして外に出ようとするとありゃ さっきのクロネコどのがいつのまに?と思うと あちらこちらオールクロネコsなのでした。
人は多いですが何も問題なく見物できます。
京都鴨川二条大橋東詰め二条通り東進む川端南に進むとある、日蓮宗洛東本山頂妙寺。
東山二条のバス停前にあります。駐車場の入り口を通って中に入れます。頂妙寺は文明五年(1473)細川勝益から受けて、日祝(にっしゅう)上人が創建しました。日蓮宗の本山で洛中法華21ヶ寺本山の一つです。俵屋宗達ゆかりの寺でお墓もあるそうです。本堂の前にある銀杏の大木は秋に紅葉します。春には仁王門や本堂に早咲きの桜が咲きます。あと鬼子母神像や鐘楼、菊神稲荷大明神などもあります。大乗院では三味線教室もあります。二条通りには素敵なカフェやお店が並んでいます。特にトリバコーヒーがおすすめです。少し東へ歩くと細見美術館があり、伊藤若冲の雪中雄鶏図などの名画が見られます。
2024年4月7日に参拝しました。付近を散策していたら、山門から桜が見えたので立ち寄りました。2022年9月11日に参拝しました。室町時代の1473年に創建した由緒ある寺院です。山門をくぐると、目を引かれる立派な門構えの仁王門、この仁王門、仁王門通の名前の由来になっています。ちなみに、仁王門通は、川端通から東に約1.5km、琵琶湖疎水まで左京区を横断する形で一直線に続いています。仁王門といえば、阿形と吽形の仁王 (金剛力士)がいますが、コチラには仁王ではなく持国天と多聞天がいますので珍しいですね。また、仁王門の中央上部には、豊臣秀吉から宗門布教の再開を許された時に拝領した許状が掲げられています。
京阪三条駅から徒歩10分、仁王門通りに有り、広い境内、八つの塔堂、見所が沢山有ります。文明5年(1473)創建、開山は日祝上人、土佐の武将細川勝益による開基、本尊に十界曼荼羅を祀る日蓮宗の寺院です。歴史を見ると1532年〜1536年の宗派間の紛争「天文法難」による焼失、そして堺への移転、再度1536年、京都で復興。更には天正7年(1579)織田信長の足利義昭への焼き討ち、更に問答勝負の「安土宗論」安土城下での浄土宗と法華宗の法論の結果、負けた法華宗は袈裟を剥ぎ取られ、多額の金銭を支払い、布教も禁止され衰退する。ところが秀吉の時代になると、宗論が道理にかなっていないと明らかにされ、布教が許される事に成る。その許状が、仁王門の扁額として掲げられている。他にもお宝、俵屋宗達が牛を書いた掛軸があるそうですが、それは特別拝観時のお楽しみ、平常ぐるりと周るだけでも十分時間を要しました。大きな銀杏や桜の木が守られています。春、秋の景色が楽しみです。
| 名前 |
日蓮宗 洛東本山 頂妙寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
075-771-0562 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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日蓮宗京都八大本山の一つ頂妙寺。文明5年(1473年)創建。天文5年に惹起した天文法難により焼失し、一時は堺へ避難するが、天文11年(1542年)に後奈良天皇の命により再建。その後歴史の紆余曲折後に当地に再建。静かな本山ですが、黒猫が多くいて驚きました。