静寂の中に響く、安養寺の歴史。
安養寺の特徴
円山公園の最奥に位置する慈圓山安養寺は静寂さが魅力の場所です。
明治時代には広大な敷地を誇っていた歴史を持つお寺です。
美しい宝塔があり、訪れる人々を魅了しています。
写真の撮影日時は2025.12.01(月)13:34~。この日の目的地は①辨財天女堂(慈円山安養寺飛地、鎮守)②慈円山安養寺③東大谷祖廟。山科から京都市営地下鉄東山駅下車、起点は明智光秀公御塚。御塚から古門(安土桃山時代創建)より知恩院に入る。何ヶ所か写真を撮り、知恩院のお土産、仏具や御経本の販売、テラスなど(カフェ)などがある和順会館脇(恐らく知恩院南門)から円山公園に入る。このとき、方向音痴なので、和順会館前で知恩院のライトアップ期間出店しているコーヒーショップのスタッフさんに円山公園の方向を確認する。とても親切に教えて戴いた。そのときはそのコーヒーショップに男性女性一人ずつのスタッフさんがいらっしゃったが、円山公園に入るときと出てから二度声をかけた。カッコいいスタッフさんたちだった。円山公園も小高い山になっていて、東大谷祖廟の位置を確認し、先に辨財天女堂、慈円山安養寺、そして最後に東大谷祖廟を訪ねて、歩いていた時間は11:00~16:30くらい、総歩数は7,474歩だった。慈円山の慈円和尚は別名慈鎮和尚とも言って、元天台座主、歌人、また当時の摂政関白九条兼実の弟でもあった。慈円は天台宗の僧であるから、法然(法然房源空)の唱える専修念仏には否定的だったが、兄・九条兼実は熱烈なる法然の信者であり、ご縁があって法然に吉水の地を提供している。その吉水草庵で法然と親鸞は出会い、親鸞はやがて法然が信頼する弟子の上位となってゆく。ところが、山門(比叡山延暦寺)の弾圧により、法然と親鸞は別々のところへ配流となる。法然の配流先や期間について、負担を軽減するべく朝廷に助言したのも慈円和尚だという説もある。因みに慈円山は通称“円山”つまり、円山公園の語源はこちらのお寺の山号からきている。参考として、Wikipedia の安養寺、慈円和尚、法然、親鸞、吉水ヨシミなど。なるべく投稿の文章をコンパクトに納めるためすべて敬称略。また、現在は時宗の一宇であるが、戴いたお寺の由緒書を読んでいないので、詳しく分かっていない(わたし自身が。)素晴らしいお寺だった。拝観料なし、トイレは見当たらなかった。最寄り駅は微妙だが、京都市営地下鉄東山駅からが近いのだと思う。合掌。
知恩院から徒歩で円山公園を抜けて大変落ち着いた静かな道を歩き向かいました。安養時は小さなお寺で人も居なくて静かでよかったです。昔、法然さんの説法を親鸞さんが聞いていたのかと思うと、その当時は大変な人が聞きにきたんでしょうが。今は本当にひっそりとしたお寺でした。
法然上人、親鸞上人が草庵を結ばれて、身分わけ隔てなく説法をされていた場所と聞き訪問しました。お伺いできたのは、ありがたいことです。感無量です。このお寺さんの横は、知恩院さんの大鐘楼でした。
歴史は古く桓武天皇が平安遷都されたときに伝教大師が創建されました。法然上人、親鸞上人もこの地で修行されました。法然上人が流罪の後は、慈鎮和尚が慈円山大乗院安養寺と号され経営なされました。慈円山は、徳川時代には「円山」と称され、のちの円山公園の名前となり、広かった六坊と本坊の地は明治には公園となりました。六坊のひとつの「左阿彌」は唯一料亭となり残っています。
吉水の名は、良い水が湧き出ており、その水を「吉水」と呼び、草庵は「吉水禅坊」とよばれ、土地の名にもなりました。法然さん親鸞さんと縁深いお寺ですね。落ち着いた小さな庵です。
今は高齢になりましたが幼い頃から祖父に連れられ墓参。葬儀、法事の時も大広間にて…。高齢になり本堂までの石段が辛いです。とても良いお寺様です。大切な場所です。春は円山公園の桜、ご本堂近くには紫陽花が美しいです、安養寺御門前の紅葉は立派です。歴史に残る良いお寺様です。
八坂神社から円山公園を抜けた最奥にあるのが時宗の「慈圓山 安養寺(じえんざん あんようじ)」になります。通称「吉水草庵(よしみずそうあん)」とも言われます。延暦年間(782年~806年)に最澄が創建したと伝わる。法然上人が30数年間ここを本拠にし後に親鸞上人も入信して念仏発祥の地「吉水草庵」として有名である。次第に衰微したが1385年(至徳2年)国阿(こくあ)が入寺して、時宗に改め再興された。「勝興庵正阿弥」「長寿庵左阿弥」「花洛庵重阿弥」「多福庵也阿弥」「延寿庵連阿弥」「多蔵庵源阿弥」の6つの子院があり「六阿弥」「円山の六坊」などと呼ばれた。江戸時以降に六阿弥坊が席貸しの営業をはじめ、景色の良い貸座敷として民衆が集まり遊興場となり賑わった。その中の重阿弥が赤穂浪士が円山会議を開かれたりした他、坂本龍馬、中岡慎太郎といった幕末の志士たちが利用していたことでも知られる。明治時代になると明治初年に廃仏毀釈の一環として、1871年(明治4年)に上知令によって土地が政府に没収され、六坊は廃寺され、現在は、山門、阿弥陀堂・書院・聖天堂及び飛地の境内である弁天堂と料亭「左阿弥」を残すだけとなった。明治期に土地の没収があったが慈圓山安養寺の山号である慈円山が円山公園の名称のもとなっています。境内は山門から階段を登った先に阿弥陀堂・書院がある。なお、道中の階段左右が墓地となっている。境内から約50メートル南へ下った所に境外堂である吉水弁財天堂があります。吉水弁財天堂の傍らにこの吉水の地の名前の由来となった「吉水井」と呼ばれる涸れた井戸が残されている。 また、高さ3メートルの石造宝塔は重要文化財で慈円僧正塔(慈鎮の塔)と伝わる。京都時宗道場御朱印巡りの札所となっている。
時宗のお寺です。寺務所を訪れると、御朱印を書いて頂けます。
円山公園を山門前に到着。ふと見上げると本堂までの長い石段が少し躊躇しましたが思い切ってチャレンジ両脇に墓石群があって一度休みましたがなんとか本堂に到着しました。拝観して本堂付近を見学し一息ついた所に奥様から声掛けしていただき参考になるお話をして頂きおまけにさっき拾われた栗をいただきありがとうございました。この真葛が原の地に延暦年間に天台宗として最澄が創建、のち天台座主でもあり歌人でもあった慈円が隠居所も兼ね吉水禅房を1205年に中興その頃法然上人が入寺称名念仏を宣揚、親鸞上人も入信するも、専修念仏弾圧で荒廃。南北朝時代の1385年に国阿上人が入寺鎌倉仏教の時宗となり、明治19年には慈円山安養寺から円山町に現在の円山公園が 1200年の歴史が伺えます。南無阿弥陀仏。
| 名前 |
安養寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
075-561-5845 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 8:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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令和七年 8月12日 京都真夏の旅☀️安養寺 時宗道場巡り正式名称は慈円山大乗院安養寺です。法然の「吉水草庵(よしみずそうあん)」の跡地であることから、そのように呼ばれることもあります。また、親鸞聖人ゆかりの旧跡でもあります。延暦年間(782年〜806年)に最澄によって創建されたと伝えられています。