黒田官兵衛の堤防跡、歴史探訪の旅。
備中高松城跡 水攻め史跡公園の特徴
高松城の水攻めの史跡を実感できる貴重な場所です。
羽柴秀吉の中国攻めの戦略を学べる伝説的な公園です。
歴史を感じる雰囲気の中、堤防跡を見学できる絶好のスポットです。
2025.7.2岡山市北区立田にある史跡公園。公園内には、備中高松城の水攻めの際に築いた堤の一部が残る他、説明書きがあります。公園としては、駐車場やトイレ・遊具は無く広い広場があるだけです。
黒田官兵衛が築いた堤防の一部が保存されています。発掘後も観ることが出来、杭や俵の後が確認できます。
映画のぼうの城の冒頭にこの堤防が出てきます。
堤防の跡の上に登ることができました。
備中高松城から南東へ約1km歩いた『蛙が鼻(かわずがはな)』には、秀吉が築いた堤防の一部が現存していて『高松城水攻め史跡公園・蛙が鼻築堤跡』として整備されています。裏山から突き出している構造がわかります。今は3メートルぐらいしかないが、当時は高さ8メートルありました。現存する堤防の上に歩いて登ることが、できます。歴史に名高い水攻めのために築造された、本物の遺構に自分の足跡を残せるなんて、感激します。高さ8m、上幅12m、ここ蛙が鼻から約3kmにわたって築かれたといわれる水攻めの堤防です。「歴史に名高い武将たちもここを歩いていたかも」と思うと感慨深いです。周辺の発掘調査も実施され、堤防の基底部の幅が約22~24mだったことが判明しており、築堤に際して崩れた土を止めるために使われた木杭や、土俵・むしろ等が見つかりました。アクセスは、JR備中高松駅から徒歩約10分備中高松城跡公園から最上稲荷神社の大きな鳥居⛩️の方へ歩き、その手前に農業用水の小さか川沿いにすすみ、直ぐにあります。
今は公園として整備されていますが、当時の堤防跡があります。今は堀となっていますがかなり距離があるのも確認できます。
特に何かが残ってるわけではないが、とてもいい史跡でした。自刃した清水宗治の首塚を見ることもできました。最後小さな案内所で映像を見ることもできて、どういうふうに水攻めしたかも理解できました。
天正10年(1582年)に織田信長の命を受けた羽柴秀吉が“中国攻め”において、毛利方の清水宗治の居城である備中(岡山県)の高松城を攻撃した戦い。秀吉が高松城を水攻めによって包囲したことから、高松城の水攻めとも呼ばれる。水攻めの最中に主君・信長が明智光秀に討たれる本能寺の変が勃発する。その報を聞いた秀吉は毛利方と和睦、宗治の切腹を見届けてから、光秀を討つ為に京都へ引き返した。
2021/4/10に訪問。何もなく広い広場になっている。木造の椅子等が腐っている。
| 名前 |
備中高松城跡 水攻め史跡公園 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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備中高松駅からは徒歩10分ほどです。駐車場も隣接しています。羽柴秀吉が水攻めを行ったことで知られる高松城跡に整備された史跡公園です。敵の城を水で囲み、巨大な湖の中に孤立させた大胆な作戦の舞台となった場所です。わずか12日間で約3kmもの堤防を築いたと伝わります。公園内には、実際に築かれた堤防の跡が残っていまふ。また発掘で見つかった木杭や土塁の痕跡も復元展示されています。盛土や俵に混入していた歯の遺構には驚きました。また堤防の高さも設置物によって説明されています。公園として綺麗に管理されています。また案内展示も充実しています。ぜひ近くの備中高松城も併せてご訪問ください。