エレキテルの夢、源内の足跡。
平賀源内先生銅像の特徴
平賀源内先生銅像は、江戸時代の発明家の代表的存在です。
彼の代名詞エレキテルを彷彿とさせる立派な銅像があります。
杉田玄白の言葉に触れ、歴史を感じる重要な場所です。
これだけの功績を残しただけに銅像も凄く立派です。
2022/6/26来訪。台座の上に源内先生の銅像が立っています。台座には杉田玄白(すぎたげんぱく)が多難(たなん)の人生だった源内さんの生涯を振り返りおくった句がはめ込まれています。「嗟非常人 好非常事 行是非常 何非常死」と書かれています。
「ああ非常の人 非常の事を好み 行いこれ非常 何を非常に死するや」杉田玄白。
名前 |
平賀源内先生銅像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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平賀源内といえば、江戸時代中期の発明家というイメージですが、たとえば彼の代名詞「エレキテル」。これは彼の発明品ではありません。オランダで発明された電気治療器を、故障品を独学で修理し、世に出したというのが真相です。しかも、東洋の学問の域を出ず、電気の原理を正しく理解していなかったとか。気まぐれで自由な気風を好む人柄で、ひらめき(インスピレーション)や先取の精神はピカイチでしたが、事業化することや計画性には難があったそうです。そのため、投資(鉱山開発など)が焦げ付き大負債を抱えることもあったらしく、いろんなことに手を着けていたのは、何より食い扶持を稼ぐためであったとか。それらがそこそこ当たるのでマルチタレントのイメージが強いですが、どれも第一級には至らず、なんだか「器用貧乏」を地で行く印象ですね。世間にも「山師」「なんだか胡散臭い人」という評価が大きくなり、次第に冷淡な目で見られるようになります。また、コミュニケーション力が非常に高い一方で、自分の考えを妨げたりする人や権力に対しては攻撃的な人だったようです。加えて、酒癖も悪かったとか(それが非業の最期を招いてしまいます)この銅像の表情は、そんな源内の人間性を投影してるように見えてなりません。傲岸不遜というか、どこか世間を見くびっているような、ハッタリをかますことに寸分の良心も痛まないような・・・とはいえ、非常にユニークで才気煥発な人物であったことは疑いが無いでしょう。鰻は天然物しか出回っていなかった江戸時代。暑さで食が細って脂が乗らず、夏の鰻は不人気。商売上がったりの鰻屋がアイデアマンの源内に相談したところ、「本日丑の日」の張り紙を出す販促キャンペーンをアドバイスされたとか。そこから現代にも脈々と受け継がれている“土用の丑の日には鰻を食べる”風習が生まれたそうです。本来価値がないものに、付加価値をつける。起業家としての才は現代にも通じることでしょう。