木々に囲まれた須佐之男命の神社。
八坂神社の特徴
国道32号線沿いでアクセスが良好です。
主祭神は須佐之男命で、信仰の対象です。
合祀祭神には水久麻理神が祀られています。
雰囲気のある木々に覆われた良き神社です。イオンのガチャガチャとした光や音が気にならないぐらいの雰囲気があります。
国道32号線沿いイオンモール綾川店の西側に有りますお社です。御祭神 須佐之男命合祀御祭神 水久麻理神延暦年間(782〜806年)讃岐国阿野の人、正六位上綾公菅麻呂の創建です。瀧宮牛頭天王を勧請したそうです。旧社号は牛頭天王と称し、また履脱天王とも云っていたようです。萱原村の鎮守氏神としたのが起源と伝えられています。仁和年間(885〜891年)菅原道真公が国司の時は厚く尊崇し、時々境内にて弓術、馬術の会が催されていたようです。その名残で明治初年あたりまでは毎年百々手(ももて)神事と云う弓奉射の儀式が行われていました。天正年間(1573〜1592年)滝宮征木城主豊後守安資が社殿を修理しましたが兵火にあい焼失してしまいます。その後氏子らが力をあわせ再建し氏神として尊崇しました。萱原神田の文書には建久八年から長禄年間(1197〜1458年)までの記録が残っています。一の鳥居は宝暦五年建立、表にある金毘羅灯籠は文久ニ年(1862年)の奉納されています。この金毘羅灯籠には当社牛頭天王と刻まれていて金毘羅灯籠に氏神名を入れるのは大変珍しいです。現在は神主様はいらっしゃらないですが氏子の方々が守って居られるのか手入がされ、この日も御旅所側の鳥居の補修が行われていました。大変静かで落ち着くお社です。
主祭神は須佐之男命、合祀祭神は水久麻理神。由緒によると「延暦年間(782〜806)讃岐国阿野の人、綾公菅麻呂の創建にして滝宮牛頭天王の分神を勧請す。旧社号を牛頭天王と称しまた履脱天王とも言う。そして萱原村の鎮守氏神としたのが起源である」と伝えられる。仁和年間(885〜891)菅公が国司の時、厚く尊崇し、時々境内において弓術や馬術の会が催されたとも伝えられ、故事により明治初年ころ(1868〜77)までは、毎年百々手(ももて)神事という弓奉射の儀式が行われていた。一の鳥居は宝暦5年(1755)5月1日の建立である。町道沿いに灯籠があり、願主は塩田小四郎で、表に金毘羅大権現、右に氏神牛頭天王、左側に文久2年(1862)9月吉日と刻まれているが、金毘羅灯籠に氏神の刻があるのは県下でも珍しいことである。(『綾南町誌』より)──────────────────社殿の東側に五角形の地神塔があります。さらに東側に神社の土地らしき広場があるのですが、そこがかつて弓の儀式が行われた場所なのかもしれません。
氏神さまです。
名前 |
八坂神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP |
https://kagawakenjinjacho.or.jp/shrine/%E5%85%AB%E5%9D%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE-16/ |
評価 |
4.4 |
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整った感じの良い神社です。AEON綾川横ですので、買い物後に参拝。階段高いのと、手すりがないのが痛い。