文化三年の駆け落ち物語。
間男地蔵の特徴
文化3年の歴史を有し、地域の重要文化財として親しまれている寺院です。
高松藩士の妻の駆け落ちの伝説が残る、ユニークなストーリーを持つ場所です。
間男地蔵には、訪れる人々が関心を寄せる神秘的な雰囲気が漂っています。
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名前 |
間男地蔵 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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文化3年(1806)年4月、高松藩士矢田亀三郎の妻が下男と駆け落ちした。二人は猪の鼻峠を越えて阿波に逃げたものの追手に捕らえられ、高松藩へ戻される道中の羽床で首をはねられた。藩士は二人の首を持ち帰って藩主に報告し、遺体は羽床に捨て置かれた。羽床の里人は遺体を埋めて弔ったが、なおも人魂が出るので地蔵を建て、二人の霊を懇ろに供養した。地蔵は鼻の先を白く塗られているが、その由来は羽床の里人にもわからない。化粧地蔵の習わしか、妻女への供養として化粧をしたのかも、などと伝えられている。毎月8月6日が間男地蔵の供養の日で、経をあげて垂れ幕などを交換している。…といった経緯でここに祀られているようです。詳細は『ふるさと羽床』のp.84に。すごい名前の地蔵だと思って行ってみました。綺麗に手入れされており、羽床の小学生が描いた看板の、絵も文も可愛いです。