広島新四国霊場72番、要害山の美しさ。
存光寺の特徴
広島新四国八十八ヶ所霊場72番札所として知られています。
要害山のふもとに位置し、静かな環境で参拝できます。
あまり観光客が訪れないため、落ち着いた雰囲気を楽しめます。
存光寺(ぞんこうじ)は、曹洞宗(禅宗)の寺院です。宮島のメインストリートである表参道商店街からは少し離れた、静かな高台に位置しています。ご本尊は釈迦如来になります。
広島新四国88カ所72番霊場。宮島桟橋前のローソン脇の小道を進み、小さなトンネルを抜けて右手に進むとあります。鹿避けのために門が閉められていますが、開けて入れます。御朱印は本堂正面に置いてありました。
戦中の名優・丸山定夫が被爆後にここで亡くなったと伝えられているお寺。倉で亡くなった丸山に思いを馳せました。行けてよかったです。
広島新四国八十八ヶ所霊場第72番右側の扉を開けて参拝させて頂きました。
工事中かな?と感じますが御参りできます。御朱印は書置きがあります。300円。
広島新四国八十八ヶ所霊場72番札所。
住職に出会えませんでした。
山門の扉が鹿よけのため閉まっますが、自由に参拝してくださいの注記書きがあります。御朱印は本堂入口に箱入で置いてあります。
要害山 というか … 今伊勢神社の麓にある寺である。この寺の脇に 今伊勢神社から降りてこれる階段がある。厳島神社のホームページによると、昔は ここで 神楽が奉納されていたらしい。 考えたら 不思議である。ここは 寺であり、神社ではないのに神楽を?しかも、湯立神楽を。湯立てとは、まさに 釜で沸かした湯を 神事に使う訳だ。地方によっても 少しずつ違うらしく、ここでは 舞うヒトは 甲冑をつけていたという。まさに 要害山で討ち取られた陶氏 達の鎮魂をするかのようである。でも、何故 ここで 神事をするのだろうか。神仏混合は 理解したとしても 不思議であるここは 宮島で 寺には墓は無い。今伊勢神社は 山頂にあるのだから、そこで 神事をすれば良かろうに…!
| 名前 |
存光寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0829-44-2067 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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伊屋山 存光寺(そんこうじ)は、宮島桟橋の南200mほどの広島県廿日市市宮島町に伽藍を構える曹洞宗の寺院です。室町時代末期の天文9年(1540年)大和国(現 奈良県)多武峰浄土院の存光坊真空寂如阿闍利がこの地を訪れ、阿弥陀三尊仏を祀る一宇を建立して創建しました。弘治元年(1555年)の厳島合戦の際、当寺の背後にある山(宮尾城)へ毛利元就が囮の城を築き、見事に陶晴賢率いる大軍を撃破しました。かつて寺の境内では、合戦で敗れた陶軍の将兵の霊を慰めるため、毛利軍が甲冑をまとって舞ったことに由来する「湯立神楽(ゆだてかぐら)」が毎年11月の今伊勢神社の祭礼に合わせて奉納されていました。この舞は、甲冑をつけ太刀を帯びた者たちが舞うという、非常に武術的で勇壮な歴史的伝統行事でした。その後、一時的な衰退を経て、江戸時代に廿日市にある名刹・洞雲寺の第15世である骨岫玄大臣(こつしゅうげんだいしん)によって再興され、曹洞宗の寺院として定着しました。境内には、本尊の阿弥陀如来のほか、一畑薬師から勧請された薬師如来や地蔵菩薩が祀られており、古くから「目の不自由な人に御利益がある」として篤く信仰されています。また、文化・産業面での重要な歴史として、嘉永3年(1850年)に宮島へロクロ技術を伝えた小田権六の頌徳碑が境内に建てられています。今日の宮島伝統工芸である「宮島ロクロ細工」の発展は、この存光寺から始まったとも言えます。曹洞宗(そうとうしゅう)は、鎌倉時代に道元(どうげん)が中国から日本に伝え、後に瑩山(けいざん)によって日本全国へ広められた禅宗の主要な一派です。道元を開祖、瑩山を太祖とし、この二つの存在から「一仏両祖(釈迦如来と道元・瑩山)」を仰ぐ特徴を持っています。福井県の永平寺と、横浜市の總持寺の二つが大本山として知られています。曹洞宗の教えの根幹は、ただひたすらに座禅を組む「只管打坐(しかんたざ)」にあります。座禅をすること自体が本来の仏の姿であると考え、悟りをひらく手段として座禅を用いるのではなく、姿勢と呼吸、そして心を整えて坐ることそのものを最も大切にします。また、座禅のときだけでなく、日々の食事や掃除といった日常生活のすべての営みを修行と捉える「威儀即仏法(いぎそくぶっぽう)」という思想も特徴的です。あらゆる行動を丁寧に行うことで、誰もが生まれ持つ仏の心(仏性)が現れると説いています。現在では日本国内に約1万5,000の寺院を数え、伝統を守りながら多くの人々の信仰を集め続けています。