真田昌幸と信繁の足跡を辿る。
真田昌幸陣跡の特徴
信長の野望と連携した看板があり、訪れやすいです。
朝鮮出兵時の真田昌幸陣屋跡が特徴的です。
真田信繁の墓が祀られた歴史的なスポットです。
ドライブ途中に立ち寄りました。何なのか良く分かりません。
朝鮮出兵時における、真田昌幸・信繁(幸村)親子の陣跡です。「信長の野望」とのコラボで、大きな看板が設置してあります。こことは別に、信繁の兄である信幸の陣跡もあります。信繁は真田家としての出陣というよりも、豊臣家の役人の1人として滞陣していた感じみたいですね。
真田戦記肥前 名護屋城 真田昌幸陣屋跡1592年、文禄の役の際に昌幸は肥前名護屋城に在陣しました。昌幸は秀吉の命令で500人の軍役が課されており、16番衆組として徳川家康ほか関東・奥羽諸大名の中に編成されました。昌幸は渡海命令を与えられる事の無いまま、家康と共に1593年8月29日に大坂に帰陣しました。渡海しなかった代償として昌幸は伏見城の普請役の負担を命じられました。信幸はこの頃、既に沼田に独立しており陣屋は別にあり、案内板だけ見つけましたが、はっきりとした陣屋はわかりませんでした。信繁の墓があり、サエモンサマ供養當と書かれています。以前は近くに幟・旗指物等が立っていたそうですが、ブームが去ったからか今は無く、ひっそりとしていました。
駐車場ありません。近くの路肩に停めて小高い茂みを登ると記念碑あり。真田丸の瓜売りの練習した舘がここか!と思うと感慨深いですね…(笑)
朝鮮の役の際に真田昌幸が在陣していた屋敷跡(比定地の一つ)主郭部とみられる所に真田信繁の墓があり「サナダサエモン様」として地元の方々に祀られています。
真田昌幸陣跡。
駐車場はない。場所は分かりやすい。
名前 |
真田昌幸陣跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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信長の野望と連携した看板がたっているのでわかりやすいです。最寄りの信号も「真田昌幸陣跡」に変わってました。