威風堂々、大手口で歴史散策。
名護屋城 大手口跡の特徴
豊臣秀吉の朝鮮出兵の拠点だった名護屋城跡です。
威風堂々とした高い石垣が圧巻です。
散歩にぴったりな広大なスペースが魅力です。
大手口ですが「いよいよ本丸へ」ってわくわくする場所ですね☺これから整備されていくといいのですが…でもあまり手を加えてもいけないし、難しいですね。十分に見応えある遺構になってますし、なにより名護屋城の案内石柱が感動しますね!
☆唐津の街から名護屋城まで約16㎞続く「太閤道」の終着点であり、朝鮮出兵の前線基地『名護屋城』への入口、その先には幅8m×約100m続く直線的な登城坂🏃左手は隅部が特に破却された三の丸の石垣群、右手は裏側に石段ある方形の櫓台が遺構として現存、登城の入口から激しい破却痕に圧倒されます、他ではこれ程の状態は見たことないので、驚きました、これも歴史😲☆不思議は「大手口」の意味、礎石などの門の痕跡が発掘調査で未確認、大手口でも「大手門」は無かった、不思議🤔開放的な構えは、豊臣秀吉が国内を敵としていない「陣城」だったからでしょうか⁉️
高石垣が現存している大手口。かつてここに櫓が建っていたようだ。ここから城内に大手道が延びている。
名護屋城大手口跡。(202304)【みちみち】※当時の破却された石垣が残っています。桜のトンネルをくぐって場内に入場です。江戸時代初期に寺沢広高により破壊されたと推定され破却された用材は、唐津城(佐賀県唐津市)の築城時に転用されたと考えられています。慶長7年(1602)より唐津城築城~慶長13年(1608)に完成した。※客観的に普通のものが『最高』の評価になりませんので悪しからず。
豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の出兵拠点として築かれた名護屋城の正面入口となる大手口跡。430年ほど前、この地に大阪城に次ぐ規模の城があり、日本史で名前を聞いたことのある数多くの武将たちが集ったことを想像するとワクワクさせられます。ここから天守跡までは、ゆっくり歩いて10分くらい。ぜひ天守跡に立って、当時の情景を思い描くことをオススメします!
豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の出兵拠点として築かれた名護屋城の正面入口となる大手口跡。430年ほど前、この地に大阪城に次ぐ規模の城があり、日本史で名前を聞いたことのある数多くの武将たちが集ったことを想像するとワクワクさせられます。ここから天守跡までは、ゆっくり歩いて10分くらい。ぜひ天守跡に立って、当時の情景を思い描くことをオススメします!
2022.06.12訪問大手口で記念撮影をされる方が多いです。ほとんどの戦国大名が集まった、この地に踏み入れることができる喜びの第一歩です。
100円の協力金を払って入場。維持もお金がいるのでこれくらいは払ってもいいと思います。なお、結構広く軽登山程度の準備と体力は必要です。上の景色はかなりいい。
2019年4月訪問。晩年の秀吉が身の程知らずの野望に任せて2度に亘り試みて失敗した朝鮮征服の拠点です。これは全国の主要諸大名に大きな犠牲を強いることとなり、結果国力の低下を招きました。その後短期間の間に秀吉の死と徳川による全国平定が成し遂げられていなければ、日本は16世紀末に中国か欧州勢によって蹂躙されていたかもしれません。秀吉の師の信長の方がよほどグローバル視点と理解力があったようです。ただ、全国の主要諸大名をこの地に集結させて朝鮮へ向かわせるという超巨大プロジェクトを動かし得た秀吉のパワーというものは凄まじいものであったと理解せざるを得ません。名護屋城跡を歩く前に博物館(無料)で知識を入れておくことをお勧めします。
| 名前 |
名護屋城 大手口跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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名護屋城跡の大手口跡は、お城の「正門(大手門)」へと続く、かつての表玄関にあたる重要な遺構です。全国から集結した名だたる戦国大名や使節団が必ずここを通って登城したため、周囲には誇示するように巨大で堅固な石垣が築かれました。敵の侵入を真っ向から防ぎつつ、城の威厳を見せつける防衛上・演出上の要所でした。現在は建物こそありませんが、今も残るダイナミックな石垣の並びから、当時の圧倒的なスケール感と厳重な警備の様子をうかがい知ることができます。名護屋城の歴史を巡るスタート地点にふさわしい、堂々とした風格を今に伝える名スポットです。