倭寇の伝説が息づく石塁。
山崎の石塁(勘次ヶ城)の特徴
溶岩石が広がる不思議な景色が魅力的です。
倭冦像がユニークで思考を刺激します。
河童や船幽霊の伝説が残る神秘的なスポットです。
13~16世紀にかけ、九州北部から大陸南部を根城とする「倭寇」が東シナ海を暴れまわりました。これは、その根城にひとつではないかと考えられています。なお「倭寇」とは単純な「海賊」ではなく、密貿易や略奪などの様々な「非合法の」海上行動を行っていた連中の総称と考えてください。当時この周囲を支配していた田尾氏は、ここを出城として倭寇行為をしていたようです。倭寇が廃れこの出城から人が居なくなった後「勘次」という男がここに住み着いたので、「勘次ヶ城」と呼ばれるようになったと伝えられます。ところでこの周辺は明治時代に入って、ようやく人の手が入ったような場所です。勘次の時代はとんでもない「僻地」だったはずです。でも何でそんなところに勘次は住み着いたんでしょうか?ヒントは勘次がinsaneだったという説にあります。勘次は富江藩の命令による「徴用」の最中に突然姿をくらませ、そして後日発見されたときにはinsaneになっていたと伝えられます。でもinsaneがこんな僻地で一人暮らしができるわけありません。Insaneを装った体のよい徴用逃れだったんじゃないでしょうか。そして詐病がバレないように、人里離れた土地に住んだんだと私は考えますが……..いかがなもんでしょう?追記:勘次の病態を表わしていたnet上の日本語が不適切だったので敢えて「insane」としました。ちなみにこの単語の「イメージ」は Blondie の楽曲 Maria から拝借しています。個人的には Call me よりも響く曲だと思います。ぜひお聞きください。
溶岩石がゴロゴロ不思議な景色でした。
珍しいものが見れました車で海沿いの細い道です気をつけて運転お願い致します。
海沿いにある観光名所。漂流物がたくさんあるけど奇麗な海辺。トイレの水が流れないため使用禁止です。
何やら河童や船幽霊の伝説が残る石塁です。人頭大の火山礫を積み上げて作られているようですが、只それだけといった感じです。ちょっと離れたところに二人の倭冠像が建ってます。
ツーリングの休憩地として立ち寄りました。ベンチには子供が並べたのでしょうか、貝殻が綺麗に並べられていました。
この像のポーズはどういう意味だろうと悩んでいます!
いいお湯でした。ゆっくりくつろげる空間です。リゾート施設の一部です。
倭冦像がオモシロイですね!
名前 |
山崎の石塁(勘次ヶ城) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0959-72-6111 |
住所 |
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評価 |
3.6 |
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草が生い茂っていますが、この下にある石造りはハワイのヘイアウそのもの。一見の価値はあります。管理をして頂いたことで今回ラッキーな事に拝見できました!