名古屋の古代ロマン、断夫山古墳。
断夫山古墳の特徴
愛知県最大の前方後円墳、断夫山古墳は151mの巨大な古墳です。
熱田神宮公園内に位置し、散策しながら歴史を感じることができます。
日本武尊の妃・宮簀媛命の御陵とされ、古代ロマンが漂う場所です。
東海地方最大の前方後円墳らしい古墳です。造り出し部はとても分かりやすかったですが、墳丘は判然としないです。
歴史ある古墳です。案内看板もあります。昔は3月3日しか一般の人は登ることができないと書いてありましたが、本日がちょうど3/3で管理事務所へ声をかけて登りました。(3/3以外も今は登れるのかな?)昔と違い木立があり景観は見えません。降りた後も管理事務所へ戻りましたと声を掛けないといけません。
前方後円墳を初めて見て、嬉しかったです。駐車場は狭いけど有ります。
年に二回程訪れます。街中に古墳が有るとは、嬉しい限りです。桜、雪柳、球場、堀川に近く、大変に老人や子供連れには、身近に散策場所です。すぐ近くには、美しい白鳥庭園も有ります。
「だんぷさん」古墳と読みます。熱田神宮を再訪したので、以前から気になっていた南隣の白鳥古墳と合わせ、訪問しました。尾張地方一帯を治めていた、有力豪族の尾張連(おわりのむらじ)の墳墓で、型は前方後円墳です。連とは、例えば推古天皇の頃、氏姓(うじかばね)制度による(大)王(おおきみ)に次ぐ有力者たちのことです。連の対として臣があります。大和中央政権の中にあっては、連には物部氏や大伴氏などがおり、臣には蘇我氏や葛城氏などがいます。地方には多くの豪族たちがいて、連となる有力豪族も存在し、ステータスである前方後円墳の造成が許されていました。この断夫山古墳は、今の天皇家の祖ではとも言われる継体天皇に、最初の妃として娘目子媛(めのこひめ)を嫁がせた尾張連草香(おわりのむらじくさか)本人、又は娘の目子媛(めのこひめ)とも云われています。150m級の古墳なので、一周してくるとなかなか骨が折れるけど、しっかり型が残り前方後円墳だとよく解ります。通常、中への立ち入りは禁止になっていますが、管理事務所へ届け出れば、立ち入れる様です。
東海地方最大の前方後円墳で、造成は6世紀前半。熱田神宮の宮司家系で、皇后を何名か輩出した尾張氏の墓との見方が濃厚です。(志段味古墳のガイドさん談)古代の地形図をネット検索して見てみると、伊勢湾は各務原市あたりまで広がり、名古屋市域のほとんどが海の底…ということは、熱田台地にある断夫山古墳や熱田神宮の間近に海があったんですね〜!今と全然違うその頃の風景を想像すると楽しい!古墳の北側にある管理事務所の方に、古墳に入りたい旨を伝えると、古墳に登ることができます。300円で、御朱印ならぬ、御墳印も押してもらえるようです。いま出土しているのは円筒埴輪ばかりのよう。今後、発掘調査が入るのを期待します〜。
愛知県最大の古墳。全長150メートル、全幅110 メートル、高さ20 メートル。とっても大きな古墳である。しかし認知度は全く無く、来訪者は年間300名程度らしい。守山区の志段味古墳ミュージアムと連携したPRなどが有効ではないだろうか。
こんな名古屋市の中心部に愛知県最大の前方後円墳とは⁉️市内ブラブラ散策でたまたま初訪問「ヤッタ~~~😲」、「断夫山古墳/特別入山」の日とは、何か嬉しかった✨貴重な体験出来ました、古墳に登墳❗️①不思議発見・埋葬伝承が日本武尊の妃/宮簀媛命なのに、断夫山とは何か不思議な命名、調べて由来が「日本武尊が亡くなった後、再婚せず、夫を断った」からとは、ン~何か納得🤔②日本書紀・記載、墳墓埋葬は尾張連草香の娘/目子媛、媛は第26代/継体天皇(507年~)の妃にヤマト政権と尾張地方豪族の繋がり明示、構築は6世紀前期🪦⭐️こんな名古屋の市街地の中に古代ロマンの地、良いですね✨「宮内庁管轄外」なのに詳細な発掘調査してないんですね、でも謎が良いかも😃
歴代を感じるパワースポットだがね〜ミニチュアもあって面白いよ。球技場が隣にあって白鳥公園とも川を隔てて橋で繋がっとる、散歩に最適だがね。駐車場もあって立ち寄りやすいで、皆来たってちょうよぉ。
名前 |
断夫山古墳 |
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ジャンル |
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電話番号 |
052-954-6783 |
住所 |
〒456-0027 愛知県名古屋市熱田区旗屋1丁目10−45 |
HP | |
評価 |
3.8 |
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尾張氏の墓とも、宮簀媛の墓とも言われる古墳。東海地方最大とのことで、まるで森のようでした。北側にある管理事務所で入山の申し出をすれば入れます。