熱田湊で感じる歴史の風情。
七里の渡し船着場跡の特徴
熱田湊があった場所で、旧東海道の趣を感じる史跡です。
江戸時代の東海道唯一の海路として名高い七里の渡しの跡です。
整備された公園内には、立派な常夜燈が再現されています。
船着場跡自体は思ったよりも小規模ですが、旧東海道の要所としての名残りが周辺の街並みのところどころに残っており、趣きがあります。
宮宿から桑名宿を結ぶ東海道唯一の海路である七里の渡しの宮宿側の船着き場跡で、地元では古くから宮の渡しと呼ばれています。このおよそ七里・約27.5km(干潮時には遠回りするのでおよそ十里・約39km)の航路は、江戸幕府が宿駅制度を定める遥か以前の鎌倉時代から、東西間交通の難所である木曽三川を越えるための重要な海上交通路として利用されていました。幕末の頃には船着き場から堀川を少し下って伊勢湾に出るようになりましたが、これは江戸中期以降の新田開発によって航路を残すようにして徐々に沿岸を干拓していった結果で、それ以前は船着き場の西側からぐるっと南東側までずっと遠浅の海だったので、現在とは全く違う景色が広がっていました。長らく交通の要衝であった宮の渡しですが、明治5年に宮宿から現在の弥富市前ヶ須まで東海道が延伸されて、前ヶ須〜桑名間の官営渡船が運行を始めたことでついに廃止となります。役割を終えた宮の渡しの船着き場は長らく放置されたため荒廃しましたが、戦後になってかつての遺構をいくつか復元し公園として整備されました。遺構の復元はもう行われないようですが、個人的には宮の渡しの象徴は広重が描いた熱田神宮一の鳥居であった通称・浜の鳥居なので、今からでも復元してほしいくらいです。往時のように渡し船を待つ人で溢れかえることはないものの、地域住民や時折訪れる歴史ファンに親しまれる憩いの場として再生されています。
周辺は整備されておりトイレも有りますが、海は埋立が進み、往時の風景は想像するしか無いですね……以前は観光船も運航されてた様子ですが、今は無いみたいです。
公園として整備されてるけど、駅から少し距離あり、休日だったけど自分以外に観光客いませんでした今は違うけど、昔はこの辺りから海だったとかで、東海道で唯一の舟で渡っていた区間だとかここで舟に乗らない人は尾頭橋から佐屋街道へ迂回してた?と聞きました。
熱田'七里の渡し跡。駐車場はありません。岐阜ナンバーの方が道路脇に停め、駐車場がない無いことにブツブツ言いながらもたっぷり見学してました。確かに敷地内にスペースは取れそうなので数台の駐車場は作れそうですが作らない行政的な理由があるのでしょうか。ともかく七里の渡し跡は綺麗に整備され桑名側よりは観光スポットになっています。渡し跡の周りには脇本陣だった旧家が1軒残るのみで東海道の雰囲気は有りませんが、熱田神宮へ向かう側道はさぞかし賑わっていたのでしょう、想像しながら見学できました。綺麗なトイレも有るので桑名側の七里の渡しとセットでおすすめします。
夕暮れ時に訪れましたが、立派な常夜燈が再現されており、渡しの風情が満載でした。
熱田神宮に向かうバスでいつも通る割にきちんと見た事がなかったかも…?と思い途中下車。気になってはいたけど改めて見ると歴史深い場所だなあと認識します。東海道唯一の海路とゆう事もありきっと昔は賑わっていたんでしょうねえ。今はとても静かな場所なので想像つきにくいですが海の香りは当時と変わらず、この場所から数々の人が桑名に渡ったのかと思うとちょっと感動すら覚える(偶々桑名側の七里の渡しも通った事があるのでよりそう思う)道路挟んで向かいにはかつての旅籠屋の住宅もありプチ歴史散策としても楽しかったです。
東海道 名古屋から桑名までは七里 江戸時代の人達は ここから船に乗り お伊勢参りに向かったと勉強になりました。
興味があるなら是非訪れてみてください。 案内板などがあるので解説を読んで当時を偲ぶのも楽しいです。 駐車場がないので、近くのコアラパーキング(30分100円)を利用しました。 余談ですが間口1.8メートルの薄い家も見れたりします。
名前 |
七里の渡し船着場跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
052-881-7017 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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桑名宿と宮宿(熱田)を結ぶ旧東海道唯一の海路であった『七里(宮)の渡し』の船着場『熱田湊』があった場所です。辺り一帯は公園として整備されています。