福岡初の総理大臣、廣田弘毅像。
廣田弘毅像の特徴
廣田弘毅像は福岡護国神社向かいに位置しています。
元内閣総理大臣の銅像が地域の歴史を感じさせます。
福岡市美術館近くで訪問しやすい観光スポットです。
玄洋社メンバー、東京帝国大学から外交官、各国大使を歴任。斎藤内閣で外務大臣となり政界に関わるようになったのが彼の悲劇だった。
福岡出身の総理大臣この像すら知らない人間が多いだろうな!
1878年生まれ。外交官、外務大臣、総理を経験。東京裁判で文官で唯一の死刑。
権兵衛が廃止した現役武官制を復活させたのがいけなかったのか。文官でありながらA級戦犯で死刑に。色々本を読んで調べると…疑問を感じてならない。
廣田弘毅像(1878-1948)、銅像の場所は大濠公園裏にして福岡市美術館東口表側にあるバス通りに面している早い話しが福岡護国神社向かい側、日本庭園の向かい側でもあり、舗道に面した一角にある、修猷館卒後東大卒。外務大臣や32代内閣総理大臣(1936/3-1937 /2月)その後も外務大臣。福岡県那珂郡鍛冶町(のちの福岡市中央区天神三丁目とか?那珂市ではない模様)で生誕、生家は石材店。生誕地の石碑も天神三丁目の裏通りで、見掛けた。
福岡初の総理大臣東京帝国大学を卒業後、外務省に入省。欧米局長、オランダ公使、ソ連大使等を歴任。昭和8年(1933)斎藤内閣に内田外相の後任として入閣。11年(1936)3月、2・26事件後の組閣で首相に就任。敗戦後A級戦犯。極東国際軍事裁判で、文官中ただ1人絞首刑となる。しかし、判決は11人の裁判官中、3人が反対。オランダのベルト・レーリンク判事は「広田が戦争に反対したこと、そして彼が平和の維持とその後の平和の回復に最善を尽くしたということは、疑う余地が無い」と、無罪を主張。裁判において広田弘毅は、一切の弁解をせず戦争回避に努めたとは言え、結果として軍部の圧力に屈する事となり、戦争を阻止できなかった責任を自らに科し、裁判では一切の弁明を行わなかった。
二戰時期日本戰犯唯一被判死刑的文官,時運不濟的前首相。
名前 |
廣田弘毅像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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福岡市中央区出身の元内閣総理大臣。戦後A級戦犯で処罰。像は新しく立派だか訪れる人は少ない。