日本最西端、与那国島の神社。
金刀比羅宮の特徴
赤い鳥居が印象的で、お参りしたくなる神社です。
日本の最西端に位置し、独特な信仰が根付いています。
ナーマ浜の風情ある景色が、訪れる人を魅了します。
少し変わったところに鳥居があります!笑。
与那国島を訪れるほとんどの人は、ここが日本最西端の神社であることを知っています🇯🇵🤣
金刀比羅宮 与那国島 2025/01/21与那国島を1周すると約24㎞ 車だと1時間程度で1周できる。島の中でも広めのビーチが「ナーマ浜」ナーマ浜の近くにある朱色の建物=金刀比羅宮。 航海安全を祈って香川県琴平の金刀比羅宮からの分社。 耐風の多い地だけに、建物がコンクリート造りで、参拝はアルミのドアを開けて、更に木製のドアを開けてから。 このへんは海辺の神社は何処も同じような感じ。
この神社は名実ともに日本最西端の神社になります。創建は1936年(昭和11年)でしたが、先の大戦によって一時期は信仰が途絶えました。しかしながら1978年に当時の与那国漁業協同組合長が香川県琴平町の金刀比羅宮総本山に赴き、祝詞を習得しご神体を改めて勧請した事に始まります。その理由としては、久部良集落のおいたちにあります。久部良集落の始まりは、1900年に鹿児島県の寺前嘉次郎や長濱静一郎らが移り住み漁労を行ったのがきっかけです。時がたち1930年代前半に与那国近海では海難事故が多発したことから、久部良集落で大規模な鰹節工場を経営する宮崎県の発田貞彦や祖納集落で海運業や商店を営む高知県の田村春馬などを中心に金刀比羅宮創建に向けた活動を行い、その結果1936年(昭和11年)に与那国島久部良集落のナーマ浜に金刀比羅宮が海上安全や豊漁祈願の祈りの場として創建されました。しかし戦時中に発田貞彦の経営する鰹節工場は空襲によって操業不能となり、1945年ポツダム宣言の受諾により大東亜戦争が終結し台湾を放棄した結果、台湾周辺海域での操業が望めなくなり本土からやってきた漁師が次々に島を離れる結果となりました。その中に発田貞彦もいました。当時はまだ御嶽信仰が盛んであった与那国島において、彼が中心となって建立した金刀比羅宮が信仰の対象から外れることを懸念した結果、香川県の金刀比羅宮から授かったご神体を持って島を離れました。そのため一時期金毘羅信仰が途絶える事となりましたが、久部良集落に住む方々の尽力によって再建され、現在では旧暦5月4日に催される「海神祭(ハーリー)」の他に、旧暦10月10日の金刀比羅祭が加わることとなり、久部良集落の方々によってこの神社が信仰の対象となり続けているのは言うまでもありません。
海の神様として名高いこんぴらさん江戸時代に北前船などによって全国に広まりました現在、神職のいない沖縄の小さな島にもその信仰は根付いているようです。
なんというか。とても変わったお堂です。
(2023/07) 航海安全の神様。1936年建立。昭和初期に海難事故が相次いだため四国の金刀比羅様から分祀。旧暦十月十日に金刀比羅祭りが開かれるそう。ナーマ浜を見下ろす小高い岩の上に立つ。中はミニチュア祠があるだけで、あとはがらんとしていて御嶽と同じ。
赤い鳥居が可愛くて⛩気になってお参りしました。
ナーマ浜にある神社金毘羅宮と言う事ですが、鳥居が有るので神社と分かりますが、本殿は倉庫の様で味気ない物です。
| 名前 |
金刀比羅宮 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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