新大牟田駅近く、由緒ある上内八幡宮。
上内八幡宮の特徴
大牟田市上内に鎮座する由緒ある八幡神社です。
青銅の神馬は明治時代の面影を感じさせます。
御朱印はお手元に残せる特別な記念品です。
南関インターから大牟田駅に向かう途中‼️新大牟田駅 の手前の道路際で偶然発見‼️その日は行けなかったのですが2週間後ゆっくり参拝出来ました🎵🎵宗繁神社も併設されていて奥行きのある重厚な本殿・楼門・境内でした‼️
出張先への通勤時に毎日通るのでお参りさせてもらいました。歴史ある感じで良かったです。
上内八幡宮前の県道10号線は、よく利用する道路です。🚗で神社前を通る際に美しい馬の銅像(青銅製)に目が行くので、今回、境内に入って参拝後、しっかり見て来ました。神社の由緒については他の方のクチコミで詳しく説明されているので省きます。鳥居横の美しくて存在感のある馬は『神馬』。呼び方は、しんめ/じんめ/しんば/かみうまです。神が人間世界にやってくる際の乗り物として神聖視された馬で、神社に奉納されたり祭りに登場。大きな神社では他の馬と区別し飼育されたそうです。又、絵馬は馬の奉納のかわりに馬の絵を書いて奉納したのが始まりとか。台座に上内八幡宮の神馬奉納の理由について書かれていました。あと、最後に現在時点(2021年2月8日)で参拝の参考になる張り紙、御朱印についての情報があったので写真追加しています。
上内ミカンで有名な大牟田市上内に鎮座する由緒ある八幡神社。上内は、柳河藩内の独立領主立花内膳家1千石の領地であり、その初代当主で島原の乱で原城に一番乗りした武勇のほまれ高い宗繁公を祀る宗繁大明神も鎮座しています。
県道沿いに有り、駐車場入口が解らず、一旦通りすぎましたが無事参拝出来ました。現在は御朱印を中止中との看板が有りました。
上内八幡宮は、九州新幹線の新大牟田駅の東1.6kmほどの県道10号線(大牟田南関線)沿いにある神社です。丞平7年(937年)戦乱の中当時の三池方により、この地への敵方の侵入を防ぐ為の守護神として八幡神を勧請創建しました。三池城下よりこの上内八幡宮の方位は、表鬼門となり三池城、北部要衝と風水による三池の丑寅の鬼門(表鬼門)の守護も考えられます。当時は、両部系の神宮寺であったことから、社僧がいたと記録されており、現在も祈祷には、理趣教等を用いる場合があります。当時の社殿壮大と記録されていますが、大友宗麟、龍造寺隆信らの戦乱により焼失、現存するのは、正平塔の一部のみです。寛永年中(1624年-1645年)立花内膳家宗繁公は、島原の乱の一番乗りの功績により、上内を采地として知行されると、上内八幡宮を再興しました。また、三池のあるの神社の鳥居と神殿の位置がずれてるのはどちらかを上内に向けることで、上内八幡宮と立花内膳家に敬意を表す為と云われています。立派な楼門や御神馬像もあります。神殿は昭和11年に再建され、平成22年に社殿が改修されました。御祭神は、應神天皇(誉田別命)・神功皇后(息長帯姫)・比メ神で、この三柱の神様が八幡大神様です。境内社の宗繁神社の御祭神は、立花宗繁公で、立花宗繁公没後200年目に創建されました。氏子は山筒組といって、立花内膳家家臣の末裔の方々です同じく境内社の若宮神社の御祭神は水波之女神です。もとは上内一本松に鎮座してましたが、ゆくりなき理由により、平成14年に上内八幡宮に御遷宮されました。元は、馬頭観音として農耕に使役された牛や馬の供養の神様です。「つくれんぼうさん」ともよばれ、白銀川最上流の水の神様です。上内町は、1889年に、岩本(いわもと)、上内(かみうち)及び四箇(しか)の3村が合併して発足しましたが、1907年に、倉永、手鎌、銀水の3村と新設合併して銀水村となり消滅しました。八幡宮は、全国に約44,000社あり、大分県宇佐市の宇佐神宮を総本社とします。御祭神は武運の神「弓矢八幡」として崇敬を集めた誉田別命(ほんだわけのみこと:応神天皇)です。応神天皇は、皇室の守護神(天照大神に次ぐ)で、出世開運の神ともいわれ、筋肉隆々で逞しく、実存性が高い最古の天皇といわれています。
地元で大切に奉られている八幡宮です☺️お正月は初詣で賑わっていますね。
青銅の神馬はとても綺麗でどことなく明治時代や大正時代の面影が感じられます。
御朱印はあるけどやっていないけどここに売ってある身代わり人形は可愛い。
名前 |
上内八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0944-58-4127 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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子供3人お世話になりました。毎年、宮司さん(様)からの年賀状有り難く頂戴しております。