日露戦争の勇士を偲ぶ碑。
月寒忠魂碑の特徴
日露戦争戦没者を悼む歴史的な慰霊碑です。
明治時代の兵士の勲章を称えた貴重な記念碑です。
大正時代に建立され、歴史を語る場所として重要です。
日露戦争戦没者の慰霊碑です。
明治37〜38年の日露戦争で戦死した旧豊平町出身の兵士の勲章を称え建てられた記念碑です。
神社の真横にあります。
日露戦争の戦没者慰霊碑があります。平成が戦争のない時代として終わろうとしているが、我が国は明治維新以来戦争続きだったことを改めて実感しますね。慰霊碑は皇居のほうをむいてます。次の元号、どういう時代になるのでしょうか。
説明プレートにもあるように、日露戦争で戦没した郷土の兵士を悼み、大正時代に建立された忠魂碑です。やはり説明にあるように、月寒公園から徒歩10分ほどの位置にある平和公園には市内でも珍しい立派な忠魂納骨塔があるため、慰霊祭などはもっぱらそちらで行われ、こちらの忠魂碑は月寒神社の側でひっそりと佇んでいます。碑面は月寒神社側を向いています。ひいては恐らく皇居のある南向きに対面しているのだと思います。
名前 |
月寒忠魂碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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日露戦争の戦闘に参加した日本の軍人と軍属の総数は、戦地と後方勤務の双方をあわせて108万人を超えていた。 このうち戦死者・戦傷者は、それぞれ約8万4千人、14万3千人。旅順陥落の為、月寒の師団からも多くの兵士が送られ犠牲となった。その霊を弔う為の碑である。