小樽駅近く、石川啄木の歌碑!
石川啄木歌碑の特徴
小樽駅近く、三角市場の入口前にある歌碑です。
階段を登った場所に位置し、視覚的に印象的な景観を提供します。
シーフードマーケットの外に佇む、歴史ある石川啄木の記念碑です。
明治を代表する歌人・石川啄木。北海道にゆかりの深い啄木の歌碑は、小樽駅前にも設置されています(三角市場の前)。岩手出身の啄木は、明治40年(1907年)函館に移住しますが、大火に遭い、その後、札幌を経てすぐに小樽へ移住。小樽日報社の記者となりますが、社内の争いで3ヶ月後に退社。その後、釧路に移った後に、妻子を函館に残して上京します。当時の小樽中央駅では、啄木の姉の夫、山本千三郎が初代駅長を務めていて、啄木一家は三角市場の辺りにあった姉夫妻の家に滞在していたそうです。この歌碑は駅前広場から三角市場に上る階段脇に、平成17年(2005年)に建立された小樽市内3番目の啄木歌碑となります。子を負ひて雪の吹き入る停車場にわれ見送りし妻の眉かな石川啄木(小樽駅前歌碑歌)(2024年10月5日訪問)
子を負ひて雪の吹き入る停車場にわれ見送りし妻の眉かな。
小樽駅より小高い階段を登った場所。三角市場の入り口付近。
小樽駅側の三角市場入口付近にあります。三角市場からで出て、駅に向かう階段を降りる手前で歌碑に気づく感じの場所ですね。
小樽駅からすぐ、三角市場前に急に現れる歌碑。
三角市場の入り口前にあります。
小樽駅近く、三角市場横にあります。啄木は、短期間ですが、小樽の新聞社に勤めたことがあるそうです。
昔は模写をした人もいたとか。
石川啄木。奔放な人とでもいいましょうか、函館時代には妻以外の女性に入れ込んでいたということで、相手に送った手紙?だったかも見つかっていたはず。経済的な面を含めて奥さんには相当な心労をかけた人物でございます。函館大火の後に札幌、小樽と移り住み今度は釧路へ!という場面で謳われた歌じゃないかと思いますが、啄木の出発を停車場で見送る奥さんが眉間にしわをよせて?『あんたって人は...私たちはどうなるのさ』的な感じでたたずんでいたんでしょうね。
| 名前 |
石川啄木歌碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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この横に、小樽中央駅の駅長官舎があった。初代駅長山本千三郎は石川啄木の姉トラの夫で、啄木は金を借りに来たり、家族を預け、釧路で仕送りもせず、芸者に貢いでいた。