山形の歴史、石碑で刻む。
水野三郎右衛門元宣宅址の特徴
山形市に位置する標柱石が訪れる価値を高めています。
幕末の山形藩の筆頭老中である水野元宣にまつわる史跡です。
水野三郎右衛門元宣宅址の碑が印象的で歴史を感じる場所です。
石碑で大切に記してくれています。
水野元宣は幕末の山形藩の筆頭老中でした。老中と言ってもまだ27歳です。藩主が京都の新政府に伺候したまま留め置かれる中、新政府軍と幕府軍の戦争が起こり、元宣は藩主不在の状況で山形藩を取り仕切りました。幕末には小藩となっていた山形藩は、米沢や仙台などの周辺大藩とともに奥羽列藩同盟に加わり新政府軍と交戦しましたが、周辺の大藩が敗戦し、山形城下も戦場となることが必須の状況となりました。 この時元宣は敗戦処理に奔走し、責任は自分ひとりにあるから他の者には寛大な処置を行うようにと新政府軍に申し出て、自らが処刑されることで山形の城下を戦火から守りました。処刑の時には多くの領民が涙したといいます。 この場所には特に史跡として見るようなものは残っていないのですが、ここから南に進んだところにある豊烈神社には元宣の像が建立されその遺徳が讃えられています。
| 名前 |
水野三郎右衛門元宣宅址 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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■水野三郎右衛門元宣宅址の碑山形市にある標柱石。水野三郎右衛門元宣の屋敷跡地を示す石碑。●高さ2メートル足らずの石柱碑。右手に碑文石が副えられてある。山形藩は最後の筆頭国家老は水野三郎右衛門元宣の屋敷跡。址の地、遺構はない。大手門の東手に位置して城に近い場所、筆頭家老に相応しい位置のようだ。