本田翁功績碑で旭川の歴史に触れる。
本田翁功績碑の特徴
散策中にふと出会える存在感のあるひっそりとした碑です。
旭川の発展を支えた本田親美を称える記念碑です。
本田翁功績碑は旭川市の常磐公園にあります。
ひっそりと置かれているけど、存在感だけは大きい碑です。詳細は、他の方々の説明を読めばわかります。
2026·R8.4.4 "旭川文学資料館"を見学した際に、常磐公園を散策中の初訪問です。近くの"案内板(ステンレス製?)"から見て、左の碑がこの「本田翁功績碑」となります(案内板の右の碑は「本田親美翁之碑」)。"案内板"には「本田親美翁之碑/HONDA Chikayoshi Monument」とのタイトルで、案内板本文には「本田親美(ほんだ·ちかよし)は、弘化4 (1847)年 鹿児島藩日向国高岡生まれ。戊辰戦争に従軍の後、屯田兵の召募官になり、永山屯田兵屋建設の工事監督として上川に入りました。明治24(1891)年、旭川、永山、神居3村の初代戸長となり、明治35(1902)年に町制が施行されると再び初代旭川町長となりました。戸長のかたわら、不向きとされていた稲の作付けに成功し、米どころ上川地方の礎を築きました。退任後も多くの要職に就きましたが、明治42(1909)年、道庁焼失後、旭川への移転運動のため上京中、病に倒れ、同年2月23日逝去。右の碑は「本田親美翁之碑」で、内務省北海道課長などを務め当時官営製鉄所長官だった白仁武(しらに·たけし)により書かれました。神居古潭の自然石でできています。左の碑は「本田翁功績碑」で、碑文の揆と書は斎藤親広(さいとう·ちかひろ)[高山樗牛(たかやま·ちょぎゅう)の実兄]によるものです。翁の遺徳を慕う人たちが発起し、資金を募って建て、大正14(1925)年9月20日除幕されました。」とあります(英文も添えられてます)。この「本田翁功績碑」の上部には縦に2文字ずつ、右から左に見出し的に刻まれていて(たぶん"篆書体"?)、その下の碑面には「本田翁功績碑 正三位勲一等 白仁 武 篆額 翁······ 大正十三年十月六日 従六位勲五等 齊藤親廣 撰併書」とあるようです。漢字のみで刻まれていて 文字が小さくて 私には読み取れませんでした。関係者の方がこのコメントを見ていたら、拓本取って、読み下し文作って、どこかに展示してほしい。(たぶん内容は 案内板の通りかも知れませんが、重みが違いますから··· もしかしたら 既に対応済みならゴメンナサイ)もし本田翁の願いであった"道庁の旭川移転"が当時 実現していたら北海道はどうなっていたんだろうと思うと 微妙に興奮してしまいました。
宮崎市高岡町出身の本田親美は旭川、永山、神居村の初代戸長となりその後旭川町の初代町長になった人物で、旭川の発展に尽力したその功績を称えるために常磐公園に建てられた記念碑。右にあるのが本田親美翁之碑、左にあるのが本田翁功績碑です。本田親美が宮崎市出身ということもあり、昭和62年8月26日に当時の宮崎市観光協会と社団法人旭川観光コンベンション協会は友好盟約の提携を結び、以来市民レベルの相互交流を続けています。
| 名前 |
本田翁功績碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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本田翁功績碑。