深い森が魅せる静謐な神社。
駒木 諏訪神社の特徴
鳥居をくぐると木々に囲まれた厳かな境内が広がります。
豊四季駅から徒歩圏内、アクセス便利な神社です。
源義家公の献馬伝説を持つ由緒ある神社です。
最寄は東武アーバンパークラインの豊四季駅から徒歩5分ほど(もしくは流山おおたかの森駅からのルートもあります)ですが、Googleマップの通りに行くと目と鼻の先に入り口が見えますが、信号機がないので気をつけて渡ったほうが宜しいかと思います。車でも来られる方々が多く、警備員の方がご案内してる姿をお見かけしました。ある程度、駐車場スペースが確保されているので、車で来られても大丈夫かなと思います。本殿までは写真の通り、沢山の木々が生茂り日中ということもあり、木々の隙間から光が差し込んでいました。また、本殿途中には門があり、2体の像がありました。門を通り過ぎると、左手側に手水舎、その奥には社務所(ご祈祷や御朱印、御守り授与)がありました。駐車場側からも入り口はありましたが、立ち入り禁止になっています。因みにご祈祷と御朱印受付が一緒で、御守り授与側が奥です。社務所手前に線がある所に1名警備員さんがいて、ご案内していただきました。その奥にはご祈祷入り口がありました。本殿右側には末社や摂社があり、複数社のものがありました。御朱印はネット検索等ですると、複数あるような感じでしたが、通常の御朱印(初穂料500円)しかご案内されておりませんでした。
創建は1170頃の歴史ある神社⛩地域の方からは駒木のおすわさまとして親しまれているようです。境内は木々が茂り、厳かな雰囲気が漂います。またこちらの神社には源義家が戦勝祈願をし、無事に奥州平定を成し遂げ献馬をしたことで有名のようです。8月のお祭りの時や年末年始は込み合います。駐車場も有りますので車で参拝に行くことができます!
元旦の14時ごろに訪問したが、境内の外まで行列が並ぶほどの人の多さ。1時間半ほど並んで、やっとお参りできる。途中で出店もいくつも並んでいる。おみくじやお守りはまた別で列ができていた。時間を少しずらして訪問する方が良いかもしれない。普段は厄払い等もしてくれるようだが、休みの日はそれなりに混みそう。
平日の16時過ぎに伺わせていただきました。駐車場に停めた際に童謡が流れていおり、、胸騒ぎがしたので社務所に伺うと御朱印の直書きは15時までで終わりでした。でも、今回はお書きしますよ。と言っていただけ、まだ参拝できていないことを伝えると、参拝の間に記帳してくださるとのことでお預けしました。本当にありがとうございました。境内には多くの神様がおられ、清らかな空気感が漂っています。夕焼けと木々の色合い、静かさとゆっくりと流れる時間が、とても居心地良く感じられました。拝殿も艶やかな色合いではありませんが、とても綺麗で美しく見えます。神様に見極められている雰囲気が、ひしひしと感じられました。受け入れていただけたかは分かりませんが、心が調えられた気がしました。また伺わせていただきたいと思える神社です。
11月後半の日曜日12:30頃、七五三の参拝に伺いました。予約なし5000円〜から祈祷可能。受付から祈祷終了までは40分ほどで終わりました。参拝時の服装はスウェット・裸足・ジャージなどは不可で、着物・スーツ・普段着の方もいらっしゃいました。駐車場は広く豊四季駅からも近く、車でも徒歩でも行くことが可能です。初詣・厄除け・合格祈願・お宮参り・七五三、夏のお祭りなど様々な機会で利用させていただいてます。初詣はかなり混み合いますが、普段は落ち着いた静かな雰囲気の地元の人から愛されている神社です。
境内全域が森の中で、夏の陽射しにやられずにお参り出来ます!(っと、言いたいのはソコじゃない)見所が多く、境内ぐるっと巡り、随神門を眺め、境内社をお参りしていくと意外と時間が経って居ました。御朱印も浄書戴けます。駐車場は入り口ちょっと分かりにくいかもしれませんので、近づいたらゆっくり目で運転を~!
大きな木に囲まれた、とても雰囲気のある神社です。とてもきれいに整えられており、お参りすると身が清められる気がします。
駐車場も広く、境内も静かです。七五三で超賑わいでした。
高木に囲まれた大変趣深い神社でした。灯籠石も立派で1200年の歴史があるとのことでしたが、参道や建物はとても綺麗で良かったです。
| 名前 |
駒木 諏訪神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
04-7154-7377 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 5:30~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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駒木諏訪神社は、東武アーバンパークライン・豊四季駅の北西500mほどの千葉県流山市駒木に鎮座している神社です。旧社格は村社です。地元では、「駒木のお諏訪さま」または「諏訪之宮(すわのみや)」とも呼ばれています。現 利根川水系(利根川東遷事業前は鬼怒川水系)と現 江戸川水系(同事業前は太日川・渡良瀬川水系)の分水嶺にあたる台地上にり、境内には「諏訪神社遺跡」が存在しており、縄文時代後期から人が居住していたことがわかっています。平安時代初期の大同2年(807年)大和国(現在の奈良県)から下総国へ移住してきた高市皇子(天武天皇の皇子)の後裔たちが、この駒木の地を永住の地と定めました。彼らは開拓の守護神として、信州の諏訪大社から御神霊を勧請し、祀ったのが始まりとされています。高市皇子と三輪高市麻呂の縁を示すこの神社の社伝は、大和国にある大神神社(大国主神)や筑紫国の宗像大社(宗像大神)との関わりも指摘されています。なお、古くは当社の別当寺・奥の院とされた成顕寺も大同年間に空海(弘法大師)の弟子によって建立されたと伝わります。11世紀後半、奥州で起きた「後三年の役」の際、平安後期の武将・源義家(八幡太郎義家)は、戦勝祈願のために当神社へ参拝しました。その後、見事に乱を平定して帰還する際、勝利の報告と神恩への感謝として、自身の乗馬と馬具を奉献したと伝えられています。この伝説に基づき、境内には馬を繋いだとされる「鞍掛けの松」の跡や、現代の彫刻家・北村西望らによって制作された勇壮な「神馬像」が建立されています。地名である「駒木」も、この献馬の歴史に由来すると言われています。実際には諏訪神社付近一帯は馬の産地であり、のちに江戸幕府が軍馬牧場の小金牧として指定しましたが、その先史を伝えるとされます。江戸時代には、関東各地から参拝客が訪れるようになり、「諏訪道」と呼ばれる参詣道が整備されるほどの賑わいを見せました。古くから農業や勝負事の神として信仰されてきましたが、現在では特に「子育ての神様」として高い崇敬を集めています。御祭神は、建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)とその妃神である八坂刀売命(やさかとめのみこと)です。『本殿・幣殿・拝殿(流山市指定有形文化財)』は、元の社殿が寛延2年(1749年)の火災により焼失したため、文政9年(1826年)には本殿、弘化3年(1846年)には拝殿が再建されました。『姫宮神社』は、創建時期不詳で、祭神は諏訪大神の后神・八坂刀売神です。元々は現諏訪神社の東側に隣接する字姫宮の、千葉県道279号豊四季停車場高田原線沿道にあったとされます。明治時代中期に引越しが行われ、諏訪神社境内に同居することとなりました。もともとは、字姫宮の一帯までが連続して境内とされ、その西側に諏訪神社が、東側に姫宮神社が祀られていたものとみられています。例祭は1月20日です。『雷神社』は、創建時期不詳で、祭神は別雷神です。元々は現諏訪神社の北側に隣接する駒木字堂台にあったとされます。明治時代中期に引越しが行われ、諏訪神社境内に同居することとなりました。「農前祭」と称する例祭は5月1日です。『天神社』は、祭神は菅原道真(天神)で、創建は1462年とされます。元々は現諏訪神社の北側に隣接する駒木字中台にあったとされます。1985年に引越しが行われ、諏訪神社境内に同居することとなりました。並びの脇社に菅原道真の化身を祭神とする雷神社が置かれています。例祭日は3月25日です。『国魂神社』は、当地方の遠祖を祀ります。明治20年(1887年)、現諏訪神社の南東側に隣接する豊四季字鞍掛から板碑が出土し、里人がこれを「道灌さま」として祀ったのが当社の始まりといいます。1952年に引越しが行われ、諏訪神社境内に同居することとなりました。例祭日は9月20日です。境内には、江戸時代の文政年間(1818年〜1831年)に奉納された、子を慈しむ姿が愛らしい「親子狛犬」などの優れた彫刻も残されており、歴史の深さを感じさせます。江戸後期に書かれた『小金紀行』(友田次寛著)には「神垣の 杉のうつろの 真清水は つきぬ恵みの ためしなるらむ」とあるように、境内の杉の大木にある洞から湧く清水は古くから篤い信仰の対象でした。平成17年(2005年)には御鎮座1200年の節目を迎え、記念事業として新たな神馬像が建立されるなど、歴史を未来へ繋ぐ活動が続けられています。広大な杜(もり)に包まれた敷地は約一万坪、境内の配置は第一鳥居・第二鳥居・随神門・第三鳥居・瑞垣門(神門)・摂末社と社殿であり、また鬱蒼とした大樹が茂る森を残していて、流山市内でも有数のパワースポットとして知られ、正月や例大祭(8月22日・23日)には今も多くの参拝客で賑わいます。神社のある「駒木(こまき)」という地名は、かつてあった東葛飾郡(ひがしかつしかぐん)駒木村に由来します。明治22年(1889年)駒木村・古間木村・思井村・芝崎村・前平井村・後平井村・長崎村・野々下村・市野谷村・名都借村・前ヶ崎村・向小金新田・大畔新田・十太夫新田・駒木新田・初石新田・青田新田・中村が合併して、八木村が発足しました。昭和26年(1951年)八木村・流山町・新川村が合併して、江戸川町が発足しました。昭和27年(1952年)江戸川町が改称して、流山町となりました。昭和42年(1967年)流山町が市制施行して、流山市が発足しました。諏訪神社は、長野県の諏訪大社を総本社とする神社で、日本全国に約25,000社存在すると言われています。この数は、稲荷神社や八幡神社などと並び国内でも最大級の勢力を持つ信仰の一つです。総本社の諏訪大社は、長野県の諏訪湖の周辺の4か所に鎮座する国内最古級の神社です。 上社(かみしゃ): 前宮・本宮と下社(しもしゃ): 春宮・秋宮からなり、御祭神は主に建御名方神(たけみなかたのかみ)とその妃神である八坂刀売神(やさかとめのかみ)です。7年目ごとに行われる「御柱祭(おんばしらさい)」が有名です。諏訪神社が全国に広まった背景には、主に2つの側面があります。鎌倉時代、幕府の重用や諏訪氏の活躍により、勝負の神として武士から絶大な崇敬を受けました。また、庶民の間では、風や水を司る農業・狩猟の守護神として信仰されました。