乾通りで道灌濠の美しさを堪能。
下道灌濠の特徴
皇居内にあり、一般公開されていない濠の美しさが際立つ場所です。
太田道灌が築城した江戸城の元祖とも言える歴史的な濠です。
干通りの桜の一般公開で訪れると、静かな佇まいが楽しめます。
江戸城を造った太田道灌の名前がのからお堀。
乾通りの中ほどを過ぎた辺りの左手に見える濠道灌濠は現在、上・中・下に分かれているが、昔は繋がっていた。
乾通り一般開放にて入場。太田道灌に由来する濠。西の丸と吹上を隔てる濠なのでここより北側の乾通りは吹上エリアということになる。一般人が吹上で唯一入ることができる場所ということになろうか。御所に最も近い場所でもある。春は桜・秋は紅葉が咲く。幽玄な雰囲気が漂っていて皇居内でも格別に美しい。
江戸城築城の太田道灌公由来のお濠のひとつ。
皇居内にある一般公開されていない濠。室町時代の長禄元年(1457年)に、太田道灌が築いた江戸城の堀という事から下道灌となったと伝えるられる。
皇居は、元江戸城でした。そしてその前は室町時代の武将、太田道灌の城でした。その名残が残っているのが、この場所。その立て札が少し朽ちたように立ててありました。できれば整備してほしいなと思いつつ、いまから約500年前に思いを馳せる、なんて。
乾通りの桜の一般公開で訪問しました。お堀にかかる桜が美しく、水面にも映えていました。
徳川家康が居城する前の城主、太田道灌が作った元祖江戸城の濠です。乾門一般公開の時に見れました。
道灌堀は皇居内にいくつかありますが、扇谷上杉家に仕えていた太田道灌が築城したことで有名です。下道灌堀は本丸を守る内堀として室町時代は機能していたと言われています。戦国時代に入ると、今川家家臣、伊勢宗瑞(北条早雲)が力をつけ始めましたが、江戸城近くまでの領土拡大で終わりました。それを継いだ二代目北条氏綱、江戸城を二万の軍勢で囲み、太田資高を寝返らすことに成功。江戸城に籠る扇谷上杉家当主上杉朝興は江戸城から脱出します。それにより北条の城となりました。以後は遠山直景や息子たちが城主となっていました。
| 名前 |
下道灌濠 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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皇居乾通り一般公開にて。