静かな奈良に佇む、歴史ある神社。
添御縣坐神社の特徴
歴史の深みを感じる添御縣坐神社は静かな境内で落ち着けます。
六御縣の一社で、菅原道真公の旅の安全を祈願された古刹です。
地元の方々に大切にされる神社で、長屋王の歌碑も見どころです。
参道の灯籠が印象的です。こじんまりとした境内ですが落ち着きがあり素敵なお宮です。
添御縣坐神社に行って来ました。高の原からは歩いて1時間位かかります。この辺りも自然が多くて道も昔の道でしたので歩いていてもとても楽しいです。この辺りは奈良時代だと西の方になりますので平城京での食料の補給や全国からくる旅人の憩いの場等と聞いています。皇室にも食料を補給していたとおもわれます。
添御県坐神社は奈良市歌姫と奈良市三碓にあり、神社名が同一である。両神社は直線距離では5キロ弱である。(添とは奈良県の一部地域の古名で、山添村や添上高校の名で今も残る)祭神についても、建速須佐之男命、櫛稲田姫命、武乳速之命とどちらも全く同じである。江戸時代の呼称「牛頭天王社」も同一である。また歌姫町というお洒落な名は平城京において、歌舞演奏を担当した女官の住居があったからという。(現在の歌って踊る女性グループの走りか?今でも「歌姫」と呼びます)どちらも皇室に食料や燃料を供給していたことも同じであるが、歌姫は平地に立地し中程度の神域を有するのに対し、三碓は小さい山一つを神域とした作りとなっており、三碓のほうが広い。次に平城京大極殿から神社までの距離は、歌姫1.2キロ三碓5キロである。思うに、八幡社、稲荷社、春日社等では、名前が一緒の社が近くにあることは特に珍しくはない。(〇✕稲荷等地名をいれて区別するのは場合は別です。)問題となっているのは、古記録に書かれているのが、現在のどちらの添御縣座神社にあたるのかだ。三碓が本当は長髄彦を祀っているとか墓だとか等と言う話は歌姫には無さそうだ。逆に歌姫にある歌碑は三碓にはない。結局添御縣座神社の名が一緒なのは、明治維新時の偶然というのが結論なのか。名は同じだが、文字が異なる奈良「登彌神社」と桜井「等彌神社」の間でも、多くの事柄について本家争いがある。古記録には文字だけが記載されており、ほぼ写真や図面が貼付されてはいないので、こんな事態が起きる。100年経てば当事者は全て死に絶え、1000年経てば何事も想像に基づく議論となる。
奈良県奈良市に鎮座する添御縣坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)は、古代に起源を持つ由緒ある神社です。地元では「三碓神社(みつがらすじんじゃ)」とも呼ばれ、親しまれています。この神社は、古代に遡ることができる歴史を持ち、一説には初代・神武天皇が戦ったとされる豪族の長・長髄彦(ながすねひこ)を祀っているとも伝えられています。また、代々の天皇の食膳に野菜を献上したとされ、都の豊穣を司ってきた歴史も持っています。ご祭神は、建速須佐ノ男命(たけはやすさのおのみこと)、武乳速之命(たけちはやのみこと)、櫛稲田姫之命(くしなだひめのみこと)の三柱です。添御縣坐神社は、歌姫街道をゆく旅人の守り神としても知られ、地域の人々からはもちろん、訪れる人々にとっても心の拠り所となっています。静かで落ち着いた雰囲気の境内は、訪れる人に安らぎを与えてくれます。例祭は10月第三土曜日・日曜日に行われ、多くの参拝客で賑わいます。古代の歴史と豊かな自然に囲まれた添御縣坐神社は、訪れる人に静寂と安らぎを与えてくれるでしょう。
奈良市三碓町にある添御縣坐神社と、延喜式内の論社の一つです、、御県の神は代々天皇の御膳に野菜を献上したと記されています。当神社は、大和平野中央を貫く古代の下つ道の北端に位置します。そして、大和から歌姫越えて諸国へ旅をする際に、国境に鎮座する手向けの神として尊崇されていました。万葉集に左大臣・長屋王の詠んだ次の歌があります。佐保すぎて 寧楽の手向けに 置く幣は 妹を目離れず 相見しめとぞこの歌には、大和と山城の国境の神添御懸座神社を拝し、旅の安全を祈念したものと考えられます。当神社は、格のある式内社・御県社の一つとしてだけでなく、農の神、旅の神として崇敬されてきました。江戸時代には「午頭天王社」「八王子社」として、除災・治病の神としても信仰されてきました。ご由緒下記より。
お宮さま、お寺さま巡りをする際、Google Mapは非常にありがたい役立つ道具ですが、その際見つけたお宮さまです。平城京東の古道を北に進むとあります。『難しいお名前のお宮さまは、由緒正しい』のことわざ(?)の通り、いにしえの時代から、近在をお護りされています。雰囲気の良いお社です。2023年2月現在、ご本殿は修理中です。ありがっ様。注意事項:奈良のあるあるですが、古い街中にありますので、道が狭く、且つ地元車がすごいスピードで走っていますので、運転にはご注意下さい。また駐車場がありません。
人に会うこともなくとても静かな境内でした。新大宮方面から徒歩で50分ほど。神社付近に車は停める場所がなく、道は離合が大変、とても狭いです。路線バスもありますが、大和西大寺から1時間に1本か、全くない時間帯があり、バスの時間に合わせるか、運動がてら歩きか、自転車がお勧めです。歌姫の集落に入ると、立派な門構えの古いお屋敷が並び、となりのトトロに出てきそうな自然もあり、奈良公園周辺の観光とは違い、すごい裏観光ができた気分です。ただ、知らずに車で入りこむと、出られなくなるような、途中で道がなくなるような所ばかりです。
歩いて歩いて到達いたします。昔は主要な道だったんだろうなぁ、と思いますが、今は狭い道、そこにポツンとあります。しかし、境内は美しい。昔からの神社のパワーを感じました。
かつては奈良~京都へ行くのに旅の安全を祈ってお詣りした神社と思うと感無量です長屋王の歌碑もあって歴史の深みを感じます。
| 名前 |
添御縣坐神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=33414 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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添御県坐神社(そえのみあがたいますじんじゃ)歌姫町。奈良市歌姫町。式内社(大)、旧社格不明。【祭神】速須佐之男命 (配祀)櫛稻田姫命 武乳速命(たけちはやのみこと、天児屋命の別名)【関係氏族】添県主 小野氏資料によると、大和国の六つの御県の一つ、添御県に祀られた神。亨保9年(1724)には八王子社と称していた。もとはいまより少し南に東向きにあったが、郡山藩主の参勤交替に社前を通のは恐れ多いとのことで現地へ遷。明治7年(1874)には垂神天皇・日葉酢姫命を祀っていた。叢林有り。石灯の多い神社である。大和国の六つの御県の一つで、添御県に祀られた神で、恐らくは、その国魂神を添県主(姓氏録・旧事本紀に津速魂命男武乳遺命の末裔)がまつていたものであろう。「武乳速命」は添県主の祖である「武乳遣命」と同一と思われ、恐らく式内社の論社とされて以降に祭神に加えられたものと思われますが、式内社「添御縣坐神社」は本来は専らこの神が祀られていたと考えられます。この地は平城京の真北にあたり、平城京から当社の脇を通る歌姫越えはかつて山城国へと通じる主要な街道だったとされています(後に大和国と山城国を結ぶ主要な街道は東の奈良坂越えに移る)。「歌姫神社」とも呼ばれている。境内に2つの歌碑がある。佐保過ぎて奈良の手向(たむけ)に置く幣(ぬさ)は 妹を目離(めか)れず相見(あひみ)しめとそ 万葉集 巻3-300 長屋王このたびは、幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに 菅原道真とあります。