戦国の歴史に触れる旅。
脇城跡の特徴
脇城跡は戦国時代に築かれた重要な城跡です。
甲斐の武田信玄の子孫が歴史を刻んだ場所です。
阿波九城の一つとして多くの観光客を魅了しています。
特になにもない。
田畑になり、林の状態ですが、手が加えられていないのが良いです。
阿波九城の一つ。本丸の奥隅が櫓台状になっており、瓦も散見されます。天守のような櫓があったの……かも。
阿波9城の一つなので、訪れました。
城跡付近は草や笹が生い茂っており、正確な位置は把握出来ませんでした。過去には3本の松の木が目印となっていましたが、現在は消失しています。しかし、土が盛られた箇所や、古い丸石が見受けられましたので、ほんの少しですが、城跡に近づけた気がします。
阿波の戦国武将、三好長慶の築城とされる。その後、駿河より武田晴信の異母弟とされる武田信顕が招かれ三好家臣となり城主となるが、長曾我部氏に攻められ降伏、織田氏の四国征伐が起こると織田氏に寝返るが、本能寺の変が起きた事で長曾我部氏の侵攻を受けて落城。信顕は讃岐に逃亡するが長曾我部軍に追撃され討ち取られる。以後、長曾我部親吉が入城するが秀吉の四国攻めにより降伏、開城した。阿波に蜂須賀氏が入封すると阿波九城となった。
阿波九城の一つということで行ってみました。穴吹駅から歩いて50分程かかります。途中にはうだつのある街並みがありました。
この城は戦国時代に甲斐の武田信玄の子孫が逃れて、阿波の三好家に従順していた時に領地として貰い受けた所に城を築城したのです。この場所は、ちょうど西側の山に三好一族の岩倉城が真正面に見えています。山の高さも同じ位の高さです。城の北側には岩倉城と同じように現在では、高速道路が走っています。この城も,土佐の長曽我部に攻略されました。そこで一端長曽我部軍に就いたそうです。また、その後の話しはありますが?。写真を見てもらえたら分かると思いますが今は城の遺構はほとんどありません。残念(*^^*)
名前 |
脇城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.city.mima.lg.jp/kankou/bunka/sonotabunka/0001.html |
評価 |
3.3 |
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石碑まわりの草を刈って、いにしへの兵(つわもの)に一献捧げて来ました。