海川山の三神が祀る、井手神社の癒し。
井手神社(井手明神)の特徴
大綿津見神・罔象女神・大山津見神を祀る神社です。
奈良時代後期に由緒ある社殿を造営しました。
県道の建設に伴い移築された歴史があります。
御祭神は、大綿津見神・罔象女神・大山津見神(海川山の三神)・景行天皇。天正16(1588)年に祭神に景行天皇を加え、女神・男神・毘沙門天王・大徳王の四体を社殿に奉納したそうな。で、目的は明神社(みょうじんじゃ)眼鏡橋。架橋は天保年間(1830~1844年)との事。そして、備忘録として併せてこちらに残す。郡代御詰所(ぐんだいおつめしょ)眼鏡橋八代郡代(幕府直轄の役人)の詰所のたもとに石橋があったので、こう呼ばれていたそうな。
【井手神社】(井手明神)祭神 海川山の三神及び景行天皇・海の神大綿津見神(おおわだつみのかみ 罔象女神(みずはのめのかみ)・水、川の神・山の神大山津見神(おおやまつみのかみ)■由緒奈良時代後期に、岩崎山麓(東上宮下平原)に社殿を造営し海川山の三神を祀り、沿海の地したとされている。天正十六年(一五八八年) に祭神に景行天皇を加え、女神・男神・毘沙門 天王・大徳王の四体を社殿に納める。慶長六年、 加藤清正社殿を造営する。 昭和八年に県道(国 道四四三号)開通により現在地に移転する。この地は「肥後国誌」に井手口 村の記載があり、本神社は一ノ井を開墾し農業を興し氷川の水を引き灌漑に利用し手堰の守護神とされている。
はっきり言いますが御詣りしやすい神社様です。
県道を作られた時に移築されたようです。銀杏の木が生い茂っています。
| 名前 |
井手神社(井手明神) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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水と緑を感じる場所でした。以下引用させて頂きました。井手神社 (井手明神)熊本県八代郡氷川町大字宮原字東段に鎮座。奈良時代後期に、岩崎山麓(東上宮下平原)に社殿を造営し海川山の三神を祀り、沿海の地を開発し農業を興し氷川の水を引き潅漑に利用したという。祭神は、大綿津見神・罔象女神・大山津見神(海川山の三神)・景行天皇。天正十六(1588)年に祭神に景行天皇を加え、女神・男神・毘沙門祭神 海川山の三神及び景行天皇・海の神 大綿津見神(おおわだつみのかみ)・水の神 罔象女神(みづはのめのかみ)・山の神 大山津見神(おおやまつみのかみ)祭日 夏祭 九月四日例祭 十二月四日由緒 奈良時代後期に、岩崎山麓(東上宮下平原)に社殿を造営し海川山の三神を祀り、沿海の地を開発し農業を興し氷川の水を引き潅漑に利用したとされている。天正十六年(一五八八年)に祭神に景行天皇を加え、女神・男神・毘沙門天王・大徳王の四体を社殿に納める。慶長六年、加藤清正社殿を造営する。昭和八年に県道(国道四四三号)開通により現在地に移転する。この地は『肥後国誌』に井手口村の記載があり、本は一ノ井手堤の守護神とされている。 」天保12年(1842)ごろ、八代郡代の愛嬌某という人が、井手明神から上流に向かって道路を開発したため、宮原町は発達したという。井手明神社眼鏡橋天保年間の架橋と推定。石工・不明。橋長7.50m。橋幅1.80m。高さ6.00m。拱2.40m。一の井手明神の門前橋。氷川から分水された一の井手に架かっている。上部は、コンクリートで、補強されている。