卑弥呼のロマンあふれる社。
卑弥呼神社の特徴
鹿児島神宮の近くに位置する、歴史的な神社です。
卑弥呼と卑弥弓呼を一緒に祀る珍しい神社です。
無人の社で静かな雰囲気を楽しめるスポットです。
こんなところに卑弥呼さま~。縁結びって何の縁を結ぶのでしょう。由緒書きからは伺えなかった。「卑弥弓呼(ひみここ)と争いの最中に亡くなった」では…卑弥呼像(?)は200年程後の時代の埴輪に寄せてあった。
鹿児島神宮の帰り道に見つけた変わったお社です。女王卑弥呼を御祭神とした神社は初めて参拝しました。
二泊三日で鹿児島県内の五社を巡る旅。番外編のニ社目は、鹿児島神宮の末社卑弥呼神社。石體神社の隣にあります。祭神は卑弥呼です。神主不在の社のため朱印はありません。
鹿児島神宮のすぐ近くにあり、名前に惹かれて行きました。縁結びの神様らしいです。
この神社は鹿児島神宮末社です。鹿児島神宮社頭から川沿いに右に行き、市立隼人歴史民俗資料館前を通り、尚も150mほど進むと、左手に鎮座しています。この付近はかつて日向三代の宮居である高千穂宮が築かれていた地と伝えられています。卑弥呼という名に惹かれた方は是非とも足を運んでみてわ。御祭神:卑弥呼女王由緒:魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の女王・卑弥呼が国分・隼人地区に居城を持っていたという由来に基づき建立された神社です。卑弥呼は日本最初の国王であり日本の統治者であった。当時 神武天皇及び天皇の率いる軍隊が中国の魏の国を助けてたくさんの褒美をもらっていた。近年、吉野ヶ里遺跡が分かってから邪馬台国はいよいよ九州説に決定した。国は九州の薩摩から博多まで及び、博多の南の反抗する国が吉野ヶ里である。
女王の卑弥呼と男王の卑弥弓呼は敵対していたが、卑弥弓呼は鹿児島神宮の祭神と仲が良かったので、卑弥呼と卑弥弓呼を一緒に祀っているそうです。
鹿児島神宮の前に一種異様な雰囲気を醸し出す神社があります。謎の女性像、奥まった場所にある社殿…。近付いてみると、御覧の通り卑弥呼神社との事で、隼人・国分の地が邪馬台国だというのです。うーん…邪馬台国近畿説と九州説、そしてさらに魏志倭人伝の航行の日数と海底遺跡から沖縄説という異説まで観た事はありますが…。隼人・国分が邪馬台国の根拠はどこにあるのか、邪馬台国と争っていた南にある狗奴国がどこにあるのか、由緒書きの看板だけではついぞ分かりませんでした。まあ、海幸山幸伝説は宮崎も鹿児島もルーツを主張していますし、神武東征の地は宮崎の美々津が有名ですが、大隅半島にもその地を名乗る神社があります。どこも我こそが祝福された土地だと言いたがるものだよなあ…と思いながら私はガラケーのシャッターを切ったのでした。
卑弥呼の像が、目立ちます。すっきりとした感じの神社です。
何故卑弥呼? 若干珍スポット感がありますが、鹿児島神宮から近いので、一緒にお参りしてみてはいかがでしょうか。御朱印等はありません。
名前 |
卑弥呼神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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卑弥呼伝説のある神社、卑弥呼(女)と卑弥弓呼(男)と争ってたと書かれている。