江戸時代の医学発祥地。
浄土宗 豊國山 回向院. (小塚原刑場).の特徴
日本医史学会と医学会が設置した記念碑がある場所です。
江戸時代の杉田玄白が関わった歴史的な地です。
近代医学の発祥地として知られている貴重な史跡です。
カールゴッチを崇拝する者としていつか来るべき所です。同じく尊敬する吉田松陰先生の墓所でもあり来られて良かったです。
南千住駅からすぐ。かつて小塚原刑場に建つ寺院。杉田玄白らがターヘルアナトミアが本当に正しいのか刑場で確かめたとのことで、境内に観臓記念碑がある。その他、吉田松陰、鼠小僧、カール・ゴッチ等の墓がある。
両国の回向院の分院の様です。こちらにも鼠小僧次郎吉のお墓が有るそうです。江戸時代の刑場跡、近くの涙橋交差点に由来の説明があります。
江戸の仕置場(刑場)だった小塚原刑場(浅草刑場)跡が小塚原回向院です。安政の大獄で捕らえられた吉田松蔭・橋本左内・頼三勘三郎らの墓やカールゴッチさんのお墓があります。また、杉田玄白や前野良沢らがここで刑死者の腑分けに立会い、それをきっかけに「解体新書」を翻訳したと言われています。何気に歴史定義のある場所です。
南千住駅には何度も来ているのですが、ここのクチコミで教えてもらわなければこの場所に来ることはなかったでしょう。今日が天気の良い日でよかったです。
1959年(昭和34年)3月4日、回向院(えこいん)の壁に日本医史学会、日本医学会、日本医師会が設置した碑である。小塚原刑場の刑死者の腑分け(解剖)に立ち会った杉田玄白、前野良沢、中川淳庵等がオランダの医学書「ターヘル・アナトミア」に記載された図と比べてその正確さに驚嘆し、苦労して翻訳し、1774年(安永3年)8月、「解体新書」全5巻を出版した。以前は本堂裏に観臓記念碑があったのだが戦災のため被害を受けたので、解体新書の扉絵をかたどったレリーフをこの場所に移したものである。
行く予定はしていなかったのですが、何故か惹かれるようにして訪れました。郷土福井県の偉人杉田玄白が医学の発展のため腑分をし、また日本の将来を憂いながら亡くなった橋本左内の墓前に手を合わせてきました。
江戸時代、杉田玄白ら蘭学医師の解剖や解体新書翻訳完成の歴史から、この地は近代医学発祥とされています。
名前 |
浄土宗 豊國山 回向院. (小塚原刑場). |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
03-3801-6962 |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

小塚原刑場跡で、その供養を担っていた回向院。福井藩士で藩政改革に奔走したが将軍継嗣に介入した件で処刑された橋本左内や、吉田松陰、盛岡藩との対立から弘前藩主を襲撃しようとした件で処刑された相馬大作などの墓・供養碑があります。