神田明神裏手の歴史神社。
三宿稲荷神社・金刀比羅神社の特徴
神田明神の本殿裏に位置する神社です。
江戸時代から続く歴史ある神社で魅力的です。
二つの神社が合併した独特の境内を体験できます。
本殿の真裏にある神社群のひとつ。朱色でない鳥居が逆に目立ちます😮
周囲の丹色の社殿とは違い茶色の社殿は渋い雰囲気でした。屋根がちょっとデカいのが目立ちました。1か所で2か所分のご利益があるのでコスパが良いです。
神田明神境内にある摂社。江戸の町にあったお稲荷様とこんぴら様を合祀した神社です。朱色の他の摂社とは違いこちらは黒い社殿で雰囲気が少し違いますね。水番(手水)は千代田区指定文化財。
神田明神の本殿の後ろに並んでる稲荷神社の一つ。他も大体そうですが昭和30後半から40前半に建てたり移転してきたみたいです。狐が有ったり無かったりですな。
神田明神の境内にある三宿稲荷神社と金刀比羅神社は、小さな社です。まず、三宿稲荷神社は商売繁盛や家庭円満を祈る人々にとって重要なスポットで、可愛らしい稲荷狐が特徴的です。金刀比羅神社は、海上安全や航海の神として古くから信仰されており、旅行や移動に関わる祈願が行われます。どちらも静かな環境にあり、都会の喧騒を忘れて心を落ち着けることができる場所です。「小さいけれど心地よい」「神田明神参拝のついでに立ち寄れる」など、観光客だけでなく地元の人々もよく行かれるのではないでしょうか。また、アクセスの良さもあり、気軽に参拝できる点がいいですね。都会の中での隠れたパワースポットとして、歴史や文化に興味がある人々にもお勧めです。
創建・由来は不明だが、江戸時代は神田三河町二丁目の守護神として祀られていたと伝承されている。昭和41住居表示の施行に合わせて、神田神社境内末社となった。その際に神田神社12代神主芝崎美作守の邸内に祀られていた内山稲荷社と金刀比羅大神が合祀された。
お稲荷さんと金毘羅さんが合わせて祀られています。
神田神社御本殿の裏側に、末社「三宿稲荷神社・金刀比羅神社」があります。三宿神社のご祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、祭礼日は10月初旬です。金刀比羅神社のご祭神は大物主命(おおものぬしのかみ)、金山彦命(かなやまひこのみこと)、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)で、祭礼日は10月10日です。
神田神社の本殿裏に祀られてます。
| 名前 |
三宿稲荷神社・金刀比羅神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
03-3254-0753 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP |
http://www.kandamyoujin.or.jp/info/keidai/detail.html?kid=21 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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神田明神境内の「三宿稲荷神社・金刀比羅神社」は、表の大きな社殿を見たあとに寄ると、この神社が“江戸総鎮守”であるだけでなく、町々の小さな信仰を引き受ける場所でもあったことがよく分かります。場所は外神田、湯島側から坂を下ってくると文京区と千代田区の境目が地形ごとほどけるあたりで、まさに「区境の神田明神」という感じが出る。大社の一角に、町内レベルの守り神が凝縮されているのがいいです。神田明神自体は天平2年(730)創建と伝わり、神田・日本橋・秋葉原・旧築地魚市場など108町会の総氏神として今も厚く信仰されています。固有名を押さえるとさらに面白い。まず三宿稲荷神社。祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、稲荷信仰の中心神、つまり穀霊・食物神であり、近世以降は商売繁盛の神として町人に強く信仰された神です。由緒は不詳ながら、江戸時代から神田三河町二丁目の守護神として祀られていたとされます。この「神田三河町」は、江戸で三河国ゆかりの人々が集まった町名に通じるとされる、いかにも江戸らしい町名です。のちに神田神社12代神主・芝崎美作守の邸内にあった内山稲荷社と合祀され、現在の末社として祀られるに至ったと案内されています。一方の金刀比羅神社は、江戸の水運の記憶を連れてくる。祭神は大物主命(おおものぬしのみこと)、金山彦命(かなやまひこのみこと)、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)。とくに大物主命は海上交通や国土経営とも関わる神格で、金刀比羅信仰の中核です。この社は天明3年(1783)、薬研堀、つまり現在の東日本橋二丁目あたりに創建され、隅田川を行き来する船人たちの守護神として崇敬されたとされます。のちに商家、とくに飲食業や遊芸に関わる人々の信仰を集め、昭和期に神田明神境内へ遷座して、三宿稲荷と同じ社殿に鎮座する形になりました。江戸の物流と芸能の神が、いま神田の総鎮守の中に収まっているわけです。かなり筋がいい。私は文京区の坂道や寺社を歩いて、最後に甘いものか一杯で締めるのが好きですが、湯島から神田明神へ抜ける日は、この境内社まで見ておくと散歩の解像度が上がります。大きな歴史だけではなく、町人の商い、川の往来、町内の守護という“小さい歴史”がちゃんと残っているからです。社殿がきれいに保たれ、今も自然に手を合わせられることがまずありがたい。こういう場所があると、神田明神は「有名観光地」ではなく、今も町の神社なのだと実感できます。