聖武天皇の詔を受け継ぐ。
武蔵国分寺の特徴
武蔵国分寺跡は、深い歴史を持つ地域にあり、周辺には神社や薬師堂も点在しています。
今でも立派なお寺ですけど、かつての跡を見ると、とんでもない敷地だったことが判ります。常陸や下野の国分寺跡もそうでした。城壁や砦を築かず寺院を造る時代はある意味で平和だったのだろうと思いました。
武蔵国分寺は、真言宗のお寺です。武蔵国国分寺の後継寺院です。武蔵国の国分寺は、元弘3年(1333)の分倍河原の戦いで焼失し、建武2年(1335)、新田義貞により薬師堂が再建されたと伝えられています。その後衰退し、享保10年(1725)に本堂が再建され、宝暦6年(1756)頃に薬師堂が再建されました。 仁王門は宝暦年間(1751~1763)の建立で、入母屋造の八脚門です。楼門は米津寺(東久留米市)の楼門を明治28年に移築したものです。
武蔵国分寺跡の北側、国分寺崖線を背に建つこちらの寺院は、鎌倉時代末期の分倍河原の戦いで旧武蔵国分寺が焼失した後に新田義貞によって再建された後継となる国分寺です。
聖武天皇の詔で、造営された国分寺の後継寺院。分倍河原の合戦で、この国分寺は焼失したとのことですが、鎌倉幕府の末期まで存在していたことに驚かされます。その後、鎌倉方と戦った新田義貞により再建され、今の寺院まで繋がる訳ですが、この寺域の佇まいが非常に良いです。あたかも京都か鎌倉の山裾の古刹に来た観があり、此処が東京だとは思われないです。木枯らしの強く吹く12月の中旬に訪れましたが、花咲く春や蛍が飛ぶ夏にまた来たいと思いました。
武蔵国分寺は奈良時代中期天平13年(741)聖武天皇が発した(国分寺建立の詔)に基づき、全国60余国に建立された官立の寺院だったそうで、武蔵国分寺は七重の塔を持つ、(国の華)と言われる程の立派なお寺だったそうです。鎌倉時代末期の分倍河原の戦いですべて消失してしまい、今ある武蔵国分寺は江戸時代に再建されたそうです。国分寺が現在も残っているのは、武蔵国分寺だけだそうです。広大な武蔵国分寺跡は史跡として整備されていました。自然に恵まれ、綺麗な湧水も流れて都内とは思えないところでした。紅葉の季節は綺麗そうでした。JR.国分寺駅からバスで8分位武蔵国分寺跡下車徒歩8分位です。
久しぶりにサイクリングに出かけ、知人宅前の公園でひと休み。国分寺のご厚意で開放されている公園で子供向けの遊具も設けられています。傍らに戦没者の慰霊碑等があり手を合わせたうえで裏側を拝見。地元の戦没者の氏名が沢山刻まれていました。順番に見ていくと妻のおじさんの名前を発見。妻の父母(故人)からも聞いていなかったのでビックリ!楼門、仁王門、鐘撞、薬師堂は時代を感じます。お隣にはのお鷹の道やカフェもあり散策も楽しめます。南にも跡地が広がり、緑も多く暑さを忘れられる一時でした。
最寄り駅 JR中央線 国分寺駅徒歩20分位拝観料は無料山号 医王山宗派 真言宗豊山派本尊 薬師如来奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、武蔵国国分寺の後継寺院にあたる。『医王山国分寺縁起』によれば、武蔵国の国分寺は、元弘3年(1333年)の分倍河原の戦いで焼失し、建武2年(1335年)、新田義貞により薬師堂が再建されたという。その後衰退し、1725年に本堂が再建され、宝暦6年(1756年)頃に薬師堂が再建された。との事です。聖武天皇時代の国分寺かをそのまま残っている訳ではありませんがそれでも古い歴史あるお寺です。本堂前の楼門や薬師堂、仁王門が素晴しい作りで薬師堂は雰囲気が最高です。お堂の裏に石仏が並んでおり四国八十八ヶ所に因んだ物だそうですが壮観な眺めです。
薬師堂の参拝の後に訪れたのが、医王山国分寺本堂!まずは、本堂外にある楼門から見学です!楼門は、1895年に東久留米市から移築され、二階には、十六体羅漢象(現在は、十三体)が安置されています!国分寺市有形文化財の楼門の見学を後にして本堂に場所を移します!本堂は、悠然とした造形で来る者拒まずの堂々とした本堂でカッコいいですね!コチラの本堂は、1333年の分倍河原の戦いで焼失し1725年に再建された本堂になります!そして本堂に安置されているのが、非公開の阿弥陀如来象ですね!正直に姿を拝見出来れば嬉しいなぁと思ってましたが、非公開ならば仕方無しです!取り敢えずは、医王武蔵国分寺本堂に手を合わせて挨拶を交わしてプチご遍路は、終了です!最後に本堂上部の龍の木彫りを眺めてから、次なる目的地に向かいます!因みに本堂隣には、万葉植物園があり四季折々の草花が楽しめますので、武蔵国分寺本堂、薬師堂と合わせてお楽しみ下さいね!それでは、皆様にも阿弥陀如来象の加護が宿ります様にお祈りして筆を置かせていただきます。
江戸時代の建築様式を取り入れた立派な門を進むと、広い境内を備えた武蔵国分寺があります。
| 名前 |
武蔵国分寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
【制度は去り、構造だけが残った。武蔵国分寺は、その静かな証人】この一帯はほぼ全域が国分寺跡地の射程に入ると考えてよい場所です。現在の伽藍は江戸期以降の再興ですが、周囲に残る空間の広がり・区画感は、律令国家が想定した「国の寺」規模を十分に想像させます。〈導線・配置について〉・山門(楼門)が道路・駐車場側に控えめに立っているため、初見では伽藍の起点がやや分かりにくい構造。・「檀家用・寺関係者用」と明示された比較的広い駐車場は、現代寺院としての運営面を支える実務的な要素でありつつ、逆に言えば「参拝者のために強く開きすぎない」距離感を生んでいます。〈場の印象〉・境内全体は整理され、簡素で、余白が多い。一の宮クラスの神社に見られる求心力とは異なり、国分寺らしい「制度の痕跡を静かに示す場」という性格が前に出ています。・御朱印休止中という情報も含め、信仰消費よりも場の維持が優先されている印象。〈国分寺万葉庭園について〉・万葉庭園は、伽藍の重さを中和する良いアクセント。歴史展示でも観光演出でもなく、「歩いて呼吸を整えるための余白」として機能しています。・国分寺という国家装置的存在に、個人の感受性を戻す装置としてうまく噛み合っています。〈付記〉・シンプルな猫のお守りは、この寺の全体印象とよく一致。主張しすぎず、しかし軽すぎない。現代の国分寺が選び取っている語り口が端的に表れています。〈総括〉武蔵国分寺は、「ここが聖地だ」と訴える場ではなく、かつて“国がここに制度として宗教を置いた”痕跡を、現在の生活圏の中で静かに保存している場所。参拝というより、国の構造が地表ににじみ出ている地点を歩いた、そのような体感に近い記録です。