高萩市にある瀧神社で神秘体験!
瀧神社の特徴
高萩市の『瀧神社』は、由緒ある創立年不詳の神社です。
御祭神には速秋津毘古命と瀬織津姫命が祀られています。
伊勢州瀧原宮からのご分霊として信仰されています。
【御祭神】速秋津毘古命、瀬織津姫命瀧神社の創立年代は不詳です。「瀧権現社」と称していました。その他の由来・沿革も不詳です。御祭神は祓戸大神である瀬織津姫命と速秋津毘古命です。入り口には不動明王も祀られています。元々、常陸は佐竹氏が治めていました。しかし、佐竹氏が秋田に移封されたことでその歴史に一大転換が起こりました。その後、水戸藩により寺社改革が行われました。寺社改革のうち、神社に関わるものを「神社改め」や「鎮守改め」(ちんじゅ)と言います。中でも八幡社(はちまんしゃ)に関わるものが多いことから「八幡改め」とも呼ばれたようです。八幡社以外にも茨城県の多くの神社で御祭神や御神体、社名の変更を光圀公より命じられました。八幡社が対象になったのは、八幡信仰が神仏習合と密接だったことに加え、水戸徳川家の前に500年近くに渡って常陸を治めていた佐竹氏が地域の土着神や、旧来の豪族が崇敬する神に代わる形で八幡社を広めた敬意があり、佐竹氏との関係を断ち切る意図もあったとされています。※移封:大名などを、他の領地へ移すこと※土着神:その土地に古くから根付いて信仰されてきた神様のことを指します。自然や土地そのものに宿る神聖な存在であり、その土地独特の風土や歴史と深く結びついています。産土神や鎮守神なども広義では土着神に含まれます。また、土着神と国津神は重なる部分もありますが厳密には少し異なります。国津神とは、大国主命など、神話に登場する地上の神々を指します。土着神は、地域や自然に根付いた神々を指します。広義の意味では、国津神も含みますが、もっと広義の意味があります。即ち、土着神は国津神の一部になりうるけど、土着神=国津神ではないようです。佐竹氏は北条家と敵対関係にあったようです。徳川家と佐竹氏とは牽制し合う仲だったという記述も見ました。そのあたりの歴史について気になる方はぜひ調べてみてください。こちらの瀧神社も神仏習合のため神社改めの影響を受け一時期御祭神を瀬織津姫命から他の神様へ変えられていたそうです。(今では瀬織津姫命に戻されています)入り口には不動明王が祀られています。
高台に有る神社!境内からは海が一望できます。鳥居付近には道幅が狭く駐車場が無く車1台通れるコンクリートの道を進めば境内まで入れます、境内に駐車しました。
分かりづらい所にある神社です駐車場もありませんね。
高萩市に鎮座する『瀧神社』様・創立年期不詳・御祭神:瀬織津姫命 / 速秋津毘古命(速開都比古.速開都比売)由緒書に【御祭神とされる速秋津毘古命は、後世 徳川光圀公に依る社寺改革か明治の始め神職に依る誤伝か又は当時の総代達の意か…速秋津毘古命の名を記す書は唯2書のみで、多賀郡誌や由緒の始め及び掛軸や古来より、伊勢州瀧原宮の御分霊・瀬織津姫命を祀る】とあります。『瀬織津姫は伊勢州瀧原宮の御分霊』を祀ったそうで、こちらの伊勢州瀧原宮とは、現在の三重県伊勢神宮 内宮別宮の瀧原宮になります。境内は掃き清められて、とても大切に護られておりました。
御祭神は速秋津毘古命(或いは云う瀬織津姫命)。慶長7(1603)年創設で、安永2(1773)年に勢州滝原宮の御分霊を祀ると云うが文献はない。正徳2(1712)年に現高萩市杉原の地を開拓し創建したとの口碑あり。なかなか難解です。明治6年村社列格、同40年供進指定。高萩高校へ登る狭く急な坂道の交差点に鳥居があり、つづら折りの石段を高萩市街を望みながら登っていくと、御神木ほか巨木の樹立した広々とした境内に、立派な社務所や子安・滝坂稲荷などの大きな境内社、そして重厚な威容の社殿が鎮座まします。拝殿裏の驚くほどに広い瑞垣と精細な彫刻の御本殿は目を瞠り感歎するばかりです。ところで、入口鳥居前の古い案内板に「高萩の観光10選 滝坂広場と瀧神社の展望」とあり、確かに市街の展望を望めます。ネットで後から調べたら、境内に夜景も素敵な展望台「パノラマビューデッキ」があるそうなのですが、うむむ、うっかり見逃してしまったのでしょうか。
ちょっと見えにくい案内板によると勢州瀧原宮からのご分霊とあります。瀧原宮とは伊勢神宮の内宮の外宮にあたります。気になったのは、扁額の千家尊福という名前です。祭神論争の際に出雲派の代表だった有名な人物ですが、何故伊勢にまつわる神社の扁額に?とても不思議に思いました。
| 名前 |
瀧神社 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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この近くのお宅を友人と尋ねました。神社には行ってません。