三方ヶ原の戦い、迫力の歴史展示。
浜松市犀ヶ崖資料館の特徴
映像での紹介が非常に分かりやすく、訪問者にとって有益です。
三方ヶ原の戦いや遠州大念仏に関する多様な資料が展示されています。
徳川軍と武田軍の激闘を体感できる迫力満点の場所です。
20206年3月の平日に見学。ボランティアガイドが丁寧に説明してくれるというクチコミが多かったので期待して行ったが、この日はハズレでした!ずっと付いてくれているのに説明らしい話は何もせず、展示内容や三方ヶ原戦について質問してもまともに答えられない。ちゃんと勉強してないことは明らかです。駐車場は奥に7台分と入口付近に2台分あります。
浜松市犀ヶ崖資料館 は、戦国時代の出来事を今に伝える歴史資料館。徳川家康と武田軍が戦った三方ヶ原の戦いにゆかりのある場所、犀ヶ崖古戦場の近くに建てられていて、戦いの背景や当時の武将・兵士の様子を資料や展示で学ぶことができます。館内では、三方ヶ原の戦いの経過や戦国時代の浜松周辺の情勢、そして徳川家康と武田信玄の対立などを、模型・解説パネル・映像などでわかりやすく紹介しています。特に武田軍を崖に誘い込んで撃退したという伝承が残る「犀ヶ崖の戦い」のエピソードなど、地域に残る歴史にも触れることができます。また、この資料館は、戦国時代を題材にした どうする家康 の制作にも協力していて、ドラマの歴史考証や地域の史跡紹介などの面でも関わりました。放送をきっかけに、家康ゆかりの地として訪れる人も増え、戦国史ファンや歴史好きの注目を集めています。
この地にこれだけの崖があって、戦国時代にはもっと谷が深かったと教えてくれました。ボランティアの方が声を掛けてくれました。いや、凄いですねぇ。資料館にはジオラマや当時の品物があったし、ビデオが放映されていました。自家用車で行きましたが、駐車場もありで良かったです。
マンホールカードをもらいに行きました。「どうする家康」を放送してた時、松本潤さんと有村架純さんが来て写真を撮った場所とかを丁寧に説明してくださいました。
犀ヶ崖は浜松城の北側1キロにある断崖で、三方ヶ原古戦場として1939年に静岡県の史跡に指定されました。武田信玄に大敗した徳川家康は、浜松城に逃げ込み、攻め返すように見せかけ、なんとか武田軍の城攻めを免れました。しかし、一矢報いたい家康は、犀ヶ崖近くで野営をしていた武田軍を急襲し地理に不案内な事から混乱し、そのまま犀ヶ崖に転落させたと言う場所です。資料館を見てから、その崖を覗き込むと、交通量の多いこの場所に突然現れたかのように見える崖に、少しびっくりしました。
徳川家康・織田信長の連合軍と武田信玄の間で行われた三方ヶ原の戦いと、この戦いに敗走した徳川家康が浜松城へ逃げ帰ったのち追い迫った山県昌景隊に夜襲を掛けたという犀ヶ崖(さいががけ)の戦いにスポットを当て、ジオラマを中心に解説する展示内容。小さな資料館ですがスタッフさんの解説が丁寧で面白く、エピソードなど聞きごたえがありました。浜松城からほど近いですし、日本史に趣を感じる方は併せて訪問してみると良いと思います。
【 2021/06/26(土)訪問 】無料で見学できる犀ヶ崖(さいががけ)資料館は「三方ヶ原(みかたがはら)の戦い」及び「遠州大念仏(えんしゅうだいねんぶつ)」についての理解を深め、郷土に伝わる文化遺産を後世に残していくことを目的としています。「三方ヶ原の戦い」は元亀(げんき)3年(1572)、武田信玄と徳川家康・織田信長連合軍が三方ヶ原台地で激突した戦いで、武田軍が圧勝し、家康の生涯で最大の敗戦といわれています。武田勢2万5,000人に対し、徳川・織田連合軍は1万1,000人でした。大敗後、兜(かぶと)を脱いで家臣に化けた家康は、命からがら浜松城に逃げ帰りました🏇💦城に帰った家康は、敗戦直後の意気消沈した自分の顔(しかみ顔)の絵を描かせ、生涯この絵を大切にし、敗北を自戒(じかい:自分自身をいましめること)したと伝えられています。合戦の夜、家康はなんとか一矢(いっし)を報いようと、城まで追撃してきた武田軍の山県昌景(やまがたまさかげ)勢が浜松城から1km北方の三方ヶ原台地の南端にある犀ヶ崖(さいががけ)で野営(やえい)していることを知り、夜襲を命じました。夜襲に混乱した地理に疎い(うとい)軍勢は布橋(ぬのはし)を渡ろうとして次々と(資料館横の)崖下に転落し、多数の死傷者を出してしまいました。犀ヶ崖(さいががけ)は、三方原台地の水蝕(すいしょく:水による浸食作用)によって亀裂陥没した断崖で、三方ヶ原の戦い当時の崖の規模は「東西:2km 、幅:約50m 、深さ:約40mのV字型」と伝えられています。昭和60年3月時点での大きさは「長さ:約116m 、幅:約29〜34m 、深さ:約13mのU字型」で、「三方ヶ原古戦場」として昭和14年(1939)に静岡県の史跡に指定されています。山県昌景(やまがたまさかげ 1529-1575)は武田四天王の一人で、軍装を赤一色に揃え、戦国時代最強と謳われた精鋭部隊「赤備え(あかぞなえ)」を率いた人物としても知られます。家康は昌景と交戦してその凄さを実感し、武田滅亡後には井伊直政に昌景の「赤備え」部隊を引き継がせています。遠州大念仏(えんしゅうだいねんぶつ)は、「三方ヶ原の戦い」及び「犀ヶ崖の戦い」で犠牲となった人を弔うために始まり、この戦いで命を落とした武田勢兵士の鎮魂のために迎え入れられた宗円僧侶の下、行われるようになった行事です。浜松市を中心に盆(7月あるいは8月)の夜に初盆(はつぼん)の家を回って太鼓や鐘などに合わせて念仏踊りを披露する遠州地方の夏の風物詩で、無形民俗文化財に指定されている郷土芸能です。※初盆(はつぼん)→人が亡くなってから四十九日を過ぎた後、初めて迎えるお盆のことをいい、地域によっては新盆(にいぼん)と呼ばれています。小さな資料館で展示スペースは広くないですが、約17分のビデオ📺やボランティアガイドの方の丁寧な説明により、理解が深まりました❗️✨😁👍 また、地元のプロモデラー 山田卓司(やまだたくじ)さんが製作した精巧な戦場ジオラマは見応えがあり、テレビ📺などでお馴染みの歴史学者、磯田道史(いそだみちふみ)さん監修です❗️犀ヶ崖資料館は、浜松城🏯から徒歩🚶♀️約15分(1.2km)で、バス🚌通り沿いの右側にあります。
映像での紹介が、分かりやすくて為になりました。三方ヶ原の戦いと遠州大念仏の繋がりがこれをみて分かりました。山田卓司さんのジオラマが沢山あり、三方ヶ原の合戦の迫力が伝わってきました。
逃げる徳川軍が追う武田軍を誘い込み当時深い崖だったこの場所に追い込んで撃退しました。その後、この崖に落ちて死んだ武田の亡霊が迷うため踊り念仏をし鎮魂し毎年お盆になると踊り念仏で武田の霊を慰めるそうです。現在は歴史資料館がありますが柵から谷を覗くと深さが分かります。もっと詳しく知りたい人は資料館でボランティアの方のお話を伺った方がいいです。7月のお盆の時期は浜北の念仏踊り保存会の方が来て念仏踊りを披露していただけますのでこちらもぜひ。念仏踊りをご覧になられたい方は事前に行われるかの確認をしましょう。
| 名前 |
浜松市犀ヶ崖資料館 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
053-472-8383 |
| 営業時間 |
[日火水木金土] 9:00~17:00 |
| HP |
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/c-machi/culture_art/saigagake/saigagake.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
今年(2026年)の大河ドラマは「豊臣兄弟」で徳川家康は脇役なので家康系の史跡は空いてます。大きな施設では無いのでじっくり観ても20分くらい。日本でも有名なジオラマ作家の先生が手掛けた割と大きなジオラマが展示してあり犀が崖や三方ヶ原での戦の場面が再現されていて解りやすい展示になってます。ボランティアガイドの方が説明してくれますので歴史好きでもそうでなくても隙なく楽しめます。7月のお盆の日の夕方に行くと浜松市の無形文化財の『遠州大念仏』の実演が観覧できるそうです。