神武天皇も祈った古社。
畝尾坐健土安神社の特徴
村の奥に位置する、古代からの歴史を持つ神社です。
御祭神は健土安比売命、大地の神様として信仰されています。
創建は神武天皇即位前、由緒ある神社として特に知られています。
ひっそりしてました。
村の奥にある神社です。☝️
畝尾坐健土安神社(うねおにますたけはにやすじんじゃ)式内社 旧村社御祭神:健土安比売命、天児屋根命神武天皇が大和を平定するときに、天香久山の土(はに)を使って皿と酒瓶を作って勝利を祈った。このことから、天香久山の土を神聖なものとして敬い祀る神社ができたという。この土が取れた場所は、現在の天香山神社の白埴聖地と推定されるが、なぜかこちらの神社に赤埴聖地があり、健土安比売命を祀っている。本殿は、銅葺きの屋根で流造、拝殿と本殿は屋根でつながっている。社殿の向かって左に二つの石碑があり、左が愛宕山、右が庚申と刻銘されている。神社の向かいに聖徳太子建立の興福寺があるが、お百度の石柱が興福寺と畝尾坐健土安神社にまたがってあるのが面白い。距離は50m以上あると思う。
御祭神:健土安比売命創建は神武天皇即位前から祀られた、大変古い社と伝えられています。日本書紀の神武天皇即位前紀己未年二月二十日の条に、「天皇、前年の秋九月を以て、 潜に天香山の埴土を取りて、八十平瓮を造りて、躬自ら斎戒して諸神を祭りたまふ。遂に区宇を安定むること得たまふ。故、土を取りし処を号けて、埴土と白ふ」と記されています。拝:2020/07/19
式内社 大和國十市郡 畝尾坐健土安神社 です御祭神の健土安比売命は 土の神様で 埴安の地に祀られた土霊が当社ー『日本書紀』神武天皇即位前紀己未年二月二十日の条ー「天皇 前年の秋九月を以て 潜に天香山の埴土を取りて 八十平瓮を造りて 躬自ら斎戒して諸神を祭りたまふ 遂に区宇を安定むること得たまふ 故 土を取りし処を号けて 埴土と白ふ」
| 名前 |
畝尾坐健土安神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=33868 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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畝尾坐健土安神社(うねおにます たけはにやすじんじゃ)。奈良県橿原市下八釣町。式内社(大)、旧村社。【祭神】健土安比売命 天児屋根命資料によると、天香山の西北麓、奈良国立文化財研究所の北、畝尾都多本神社の東側に鎮座。鎭座地は下八釣集落の東南隅で、社地の南側の藪は若宮と称され、もとの鎮座地であつたという。神武天皇即位前紀戊午年9月條に、丹生川上に於いて天神地祇を祭られた時に天香山社中の土を取って、天平瓮・嚴瓮を造ったとある、この地とされ、裏の赤埴山に、「埴安伝承地」の碑がある。古来、天香久山の土は「倭国之物実」(崇神天皇紀10年9月條)として呪力あるものとされ、神聖視されていた。南浦町に鎮座する「天香山神社」、戒外町に鎮座する「春日神社」と共に式内社「畝尾坐健土安神社」の論社となっています。当社と天香久山との間に「赤埴山」と呼ばれる小さな丘があり、この土が土器の製造に適することから、『日本書紀』に土を取ったところという「埴安」とはこの丘のことであるとする説もあります。江戸期には隣地の興福寺の管理下にあった。とあります。