延喜式名神大社、高市御県神社。
高市御県神社の特徴
高市御県神社は、延喜式の名神大社です。
御祭神は天津彦根命と高皇産霊神です。
今井町パーキング南でアクセスも便利です。
大和国六御県神社の一社 御縣六座はみな式内大社格だが、名神大社に列するのはここだけです今は、小規模の集落の神社のようになっています 鳥居が特徴的で基本は神明鳥居だが、両部鳥居のように稚児柱がある。が、稚児柱は前後にではなく、後ろにのみある変形判らしいです。
見る人によっては凄い?神社のようです。僕はそんなに詳しくないので見た目でしか、判断出来ない為、小さく何も無い神社⛩と思いました…
高市御県神社、奈良県橿原市四条町。主祭神=天津彦根命・高皇産霊神。大和国六御県神社。町なかの一角に社叢が見え、畝傍山も近い。境内に入れば、木々に囲まれる。社殿は簡素なものだが、往古からの原風景が見えているのだろう。鳥居は、神明造だが、片部鳥居で珍しい。
延喜式神名帳に記載されている大和国高市郡の式内名神大社。無格社。主祭神:天津彦根命、高皇産霊神大和国六御県神社の1つ。
高木(こうけ)の宮。神社の名称と異りますが、通称なのかもしれません。背景ご存知の方がいらっしゃいましたら、補足おねがいします。
「畝傍の道」 巻一の十三 (高市御県神社/今井町パーキング南)巻一の二の一今井町のまちづくり国際交流センター橿原校の裏手に鎮座おはします。目の前が駐車場で、今井町環濠集落に観光客がたくさん訪問されていても、ここはいつも静寂とともにあります。万葉歌碑がなくとも、樹齢何百年の大銀杏の大木が無くても、こういう静寂と向き合い身を置くことこそ自分自身を確かめる良い時間です。9月2日には境内の木は生い茂っていましたけれど、10日後は、委託業者さんが来られてまして沢山の木を伐採されていました。その後はどうなっているのか......また見ておきます。
延喜式 名神大社で 御祭神 天津彦根命・高皇産霊神。創建かかなり古く大和国六御県神社の一つです。今は社務所も無いお宮です。隣の今井町は江戸時代の奈良の儲けの七割がこの町に集まったとのことでしたので、名神大社ならそれなりに規模かと思ってましたが、何故でしょうね。
名前 |
高市御県神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=34084 |
評価 |
4.1 |
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高市御県神社(たけちのみあがたじんじゃ)。奈良県橿原市。式内社(名神大)、旧無格社。延喜式祈年祝詞にある大和国六御県神社(むつのみあがたじんじゃ)の一社。主祭神:天津彦根命(あまつひこねのみこと)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)。【関係氏族】高木氏資料によると、創建年代は不詳だが、大同年間に「高市御縣神社神封二戸」と記載があり(『新抄格勅符抄』)、それ以前から存在したと推測される。延喜式神名帳には名神大社として登載され、高市、葛木、十市、志貴、山辺、曽布と共に「大和国六御県神社」の一座として朝廷からの崇敬が篤かった。江戸時代は「高県宮」「十三社(所)大明神」などと称していた。成務天皇(4世紀)の時、国郡県邑里を定め、高市県主には天津彦根命の後裔を任ぜられた。当時県主がその封地において祖神を奉祀し、祭政一致の制度にならつたのは当社が始めての例であろう。大和の六か所の御県神社の一である。本社は元は天津彦根命の一座であり、後に高皇産霊神を別社に奉齋したのを、後代社頭の衰微すると共に本社祭神に混入したものであると思われている。御神体は紙幣と言われている。とあります。参考として、大和国六御県神社(むつのみあがたじんじゃ)とは、朝廷直轄領である六つの御県「高市」(たけち)、「葛木」(かつらぎ)、「十市」(とおち)、「志貴」(しき、磯城)、「山辺」(やまのべ)、「曾布」(そふ、添)の各地に置かれていた神社のことをいいます。とあります。