真の神武天皇陵墓、歴史に触れるひととき。
丸山宮址の特徴
神武天皇殯宮跡で歴史を感じる価値ある場所です。
古事記や日本書紀に名を連ねる由緒正しい史跡です。
丸山宮址は神武天皇陵の候補地の一つとして知られています。
丸山宮址神武天皇殯宮の跡。
階段上がって脇道をゆき、分岐を右にゆき、レンガを左に登ると石柱があります。石柱の辺りを下から右回りに登っていくと、畝傍山頂上からの道にでました。大和三山の中では一番手ごわい山ですが、登っている方、走っている方が多かったです。
神武天皇陵の候補地のひとつ。塚自体は大したものではないが、その歴史を考えると重要なものである。
◆― 丸山宮祉(神武天皇陵墓参考地) ―◆ ~真の神武天皇陵墓~古事記 :畝傍山の北の方の白檮の尾の上にあり日本書紀:畝傍山の東北陵に葬る◆本居宣長は『古事記』の記述の「尾の上」から、神武天皇陵は「尾根」の上にあるとした。『白檮』とは『白橿(しらかし)の木』のこと。古には御陵の周りに神代より伝わる7本の白橿の大木があったが、明治期には最後の1本が表皮だけを残し注連縄を掛られていたそうです。◆― 現在の神武天皇陵墓について ―◆幕末 公武合体論の気運が高まると幕府は権威向上のために陵墓修復を計画した。しかし中世にはその所在が不明になっていたため学者を集め協議した結果、ミサンザイまたはジブデン(神武田)とも呼ばれる場所にある小塚に決定した。これが現在の神武天皇陵墓です。しかしこの塚は現在では平安時代に建てられた国源寺の基壇跡ではないかと考えられています。丸山宮祉は最有力候補でしたが、孝明天皇の行幸に陵墓の完成を間に合わすには畝傍山の中腹にある丸山宮祉では工期がかかるとの理由から候補から外されました。
名前 |
丸山宮址 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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天皇陵手前の階段を上りましたが、進入禁止🈲で入れません。