源九郎義経の夢、観心寺で再発見。
後村上天皇御旧跡(旧惣持院跡)の特徴
源頼朝の腹違いの弟に関する歴史が感じられる場所です。
後村上天皇が夢見た都奪還の思いが宿る史跡です。
阿野氏や観心寺との関係を探ると深い歴史が見えてきます。
観心寺行宮正平14年(1359年)12月~ 正平15年(1360年)9月正平14年/延文4年(1359年)12月、自身も観心寺(大阪府河内長野市)に行宮を移し、翌年9月には住吉まで北上とあります。
源頼朝の腹違いの弟源九郎義経の同母兄弟阿野全成のその後武家としての阿野氏は時元の系統に受け継がれた。その子孫は南北朝期までは確実に存在したことが記録に残っているが、同じ河内源氏の系統に繋がる足利氏などと比べて、守護にも任命されることがない小勢力でしかなかった。その一方、全成の娘は藤原公佐(滋野井実国の養子、実父は藤原成親)と結婚しており、その子実直は母方の全成の名字を称し公家としての阿野家の祖となっている。後醍醐天皇の寵愛(ちょうあい)を受け後村上天皇の母となった阿野廉子はその末裔である。また、幕末に活躍した玉松操もこの阿野家の末流に連なる。
後村上天皇御旧跡(旧惣特院跡)
名前 |
後村上天皇御旧跡(旧惣持院跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
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父の意志を継ぎ、都奪還を此の地で夢見られていたのであろうか?