水田の中の隠れた古城跡。
陸田城跡の特徴
東海道線西側の農地にひっそりと佇んでいます。
江戸時代の絵図に描かれた歴史的な城跡です。
田んぼの中にある石碑が目を引きます。
石碑のみ、もう少し何とかならないかな〜。
石碑のみぽつん、と。遺構も皆無だね。
田んぼに囲まれた中の道で、ちょっと迷って走っていて、田んぼの一画で偶然見つけました。農道に車を停めて拝見しました。周辺の方が供えているのか、花がお供えされていました。
東海道線西側の農地に、ぽつんと立ってます。
石碑がポツンと建っています👍石碑の辺りに城があったわけではないようです。城があった場所は工場になっているとのこと。
江戸時代の絵図から実際の城跡はJRと丸八製版辺りです。石碑の場所は地名(丸之内)から家臣が住んでいたかも。
石碑のみで説明は何もありません。石碑の裏面を見ると、碑を建立した人達の名前が掘られていますが、前田という名字の方が多いようです。この人達はかつての城主の子孫なのでしょうか?この城の城主は誰だったのか、どんな歴史があるのか、いつ廃城になったのか、その辺りの説明板ぐらいは作ってほしいと思います。ちなみに陸田は「くがた」と読みます。
田んぼの中に石碑のみ。少し寂しい感じ。
名前 |
陸田城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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治郎丸中学校の北方にある陸田丸之内町の水田の中に「陸田古城跡」の碑があります。陸田(くがた)城跡は、織田信雄の家臣・陸田市左衛門の居城といわれるお城です。’尾張志’によると、城主の陸田市左衛門は、この地に勢力を持った豪族で陸田城のほか同じ稲沢市内にある坂田城の城主でもあると記載されています。陸田氏は景行天皇の流れをくむ一族で、その影響でこの地に勢力を持っていたと推測されています。