雉も鳴かずば撃たれまい、長柄橋の謂れ。
雉子畷碑の特徴
雉も鳴かずば撃たれまいの諺の由来がある史跡です。
推古21年に人柱を立てた歴史的な背景があります。
長柄橋の人柱にまつわる興味深い伝説が語られています。
…雉子も鳴かずば射られざらまし一そんな謂れがあったとは、知らんかった。
「雉も鳴かずば撃たれまい」の諺のもとになった場所。綺麗に手入れされていて素晴らしい。
◆― 雉子畷(きじなわて) 長柄橋の人柱 ―◆◆推古21年(613年)度重なる長良橋の橋脚工事の失敗で「人柱を立てないからだ、人柱を立てればいい」との声が募り人柱を立てる事になった。誰にするか?寄合いを何度開いて誰も口を閉ざし決まらなかった。その沈黙の中、巌氏(いわじ)という者が「次の寄合いで継袴を着て来た者にしよう」と一言声をあげた。ところが次の寄合いでこの事を忘れた巌氏が継袴で来てしまった。人柱は巌氏と決まった。橋の橋脚に生きながら括り付けられ徐々に埋められていく巌氏。「お父さん、お父さん」と泣き叫ぶ娘。まさに生き地獄。この光景を見ずして涙せぬ者はなく、皆一様にして堅く口を閉ざし自らの愚行を嘆くもその手を止める者は無し。只々心の内で「許してくれ、許してくれ」と祈るのみ。人の世の無情はここに極まれり。悲しみの声は天に届かず、空しく辺り一面に木霊するだけだった。そして橋は完成した。この後、巌氏の娘は誰とも口を利かず不言となった。やがて娘は美しい女性となり嫁ぐ事になった。ところが嫁いだ後も「はい」と「いいえ」以外にほとんど口を利かないため、とうとう実家に戻される事に。その実家への帰路のこと、藪に隠れていた一羽の雉子が「ケーン」と一言鳴いた。その声に気づいた夫が弓矢で雉子を射たのを見て、不言だった巌氏の娘が涙を浮かべながら「ものいわじ 父は長柄の 橋柱 雉子も鳴かずば 射られざらまし」と詠んだ。これを聞き妻の思いを悟った夫は妻を実家ではなく、我が家に連れ帰り幸せに暮した。その時に射た雉子を埋めたのがこの碑の辺り。現在でも継袴を忌めるはこれが由縁です。
名前 |
雉子畷碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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