銀座の柳が奏でる、歴史の風情。
銀座の柳 二世の特徴
駿府公園内に位置する歴史ある樹木園です。
精緻な造りの銀座の柳が魅力的でした。
1601年に徳川家康が解説した名所です。
銀座の記念木。
現在はしだれが伸びて橋にいい感じにかかって来て雰囲気ありますと思ったら9月に入って剪定されてた割と頻繁に手入れされてる(´・ω・`)
銀座から移植された柳です。そこそこの大きさがありました。
▼この駿府城にある柳の木は、かつて東京の銀座にあったものの2世です。▼確かに、今も銀座には柳の木があちこちにあります。また柳通りと名前が付いた通りもありますね。▼では、何故、銀座に柳が多いのか、駿府城に銀座の柳の木があるのでしょうか。▼銀座の柳は、大阪の堺市と関係があるようです。現在の堺市の市民の木も柳です。▼堺は元々地盤が低いところにあったため、仁徳天皇陵をはじめとする百舌鳥古墳群のような濠に囲まれた前方後円墳や、織田信長が堺を包囲した時には環濠都市を形成し、自治独立を果たしていたのは有名です。▼これらの濠端に柳の木は必須だったのです。現代のようにコンクリートの護岸技術が無い当時、湿気のあるところを好み、根が丈夫で深く根付く柳は水害防止必須アイテムでした。▼なので、戦国時代末期の環濠都市・堺には街のあちこちに柳があったのでしょう。▼徳川家康が江戸に幕府を開くと、まず財政の基盤として、貨幣鋳造場所を銀座に開設しました。この時、家康は、堺にて、優良な銀質の大黒極印を作る大黒常是(じょうぜ)の丁銀にほれ込んで、大黒屋を駿府や江戸へ招へいするのです。▼この江戸幕府の貨幣制度を支えた堺の大黒屋が、江戸の銀座に住み着き、堺にあった柳の街景色を懐かしんで、柳の木を植えたことから、柳の木は銀座のシンボルになったのですね。▼この銀座の柳は関東大震災や東京大空襲の被害に遭いながらも、市民の熱意もあり、並木として継続されてきたのは驚くべきことなのですが、何故か私が生まれた頃より銀座から柳の木が姿を消したのだそうです。▼これに心を痛めた地元の有志が、挿し木で苗木を育て、銀座はもとより、銀座と縁のある場所として、ここ駿府城址の一角に銀座の柳2世を植えたようですよ。
銀座の柳だそう。
慶長6年5月(1601年)徳川家康は伏見に銀座を解説した。その後、慶長11年(1606年)駿府両替町の地に銀座が二番目として設置されたが、慶長17年(1612年)に江戸に移し、新両替町(現銀座二丁目)として運営され、明治2年町名が銀座に改められ現在に至っている。明治17年に銀座の街路樹は「柳」に統一されたが、高度経済成長期の昭和42年(1967年)頃より、銀座の「柳」が姿を消した。これに心を痛めた地元の有志が保存運動に心血を注ぎ、挿し木で苗木を殖し銀座はもとより全国各地へ寄贈されていた。本木もまた銀座の柳二世を植え、後世に伝えるものである。
駿府公園敷地内にあります。どうやら、その名の通り本当に東京銀座にあった柳の木を移植したものらしく、歴史的な背景があるもののようです。なお、銀座の柳はここだけではなく、色々な場所に寄贈されているとのこと。近くには小さな橋が架けられており、てっきり、橋の名前なのかなと勘違いしましたが、橋の近くに植えられた柳の木のことだったようです。
| 名前 |
銀座の柳 二世 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP |
http://www.ktr.mlit.go.jp/toukoku/info/ginza/hirogari/05.htm |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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銀座8丁目交差点近くに、歌詞碑と共に植栽されています。三世四世もあるようです。因みに最初の柳並木はすべて無くなったので、これが1番古い柳なのかな😀