歴史薫る街中の酒見神社。
酒見神社の特徴
紫陽花が美しく咲く、歴史ある一宮市の神社です。
倭姫命や酒造りの神様が祀られ、元伊勢の一つです。
南向きにおまいりする珍しい神社で、静かな雰囲気が魅力です。
ここは倭姫が十五番目の巡幸の地である、由緒ある神社。遣唐使でもあった大邑刀自、小邑刀自の酒造師が伊勢神宮の祭りに供える御神酒を造っていた場所です。当時はどぶ酒が多い中、清酒醸造を最初にやったのが酒見で、こちらの酒見神社は清酒醸造の祖とされています。御祭神は天照大御神、倭姫命、酒弥豆男命(さかみづおのみこと)、酒弥豆女命(さかみづめのみこと)です。
一宮市にある歴史ある神社。静かで落ち着いた感じの神社。鳥居をくぐり、少し歩くと神聖な空気に包まれる。本殿がとてもきれいで厳かな感じだった。また横には小さいけれど皇大神宮などがありその奥には栄水の井などがあった。神馬は少しセクシーだった。境内社もとても大きくきれい。境内社で磐船を祀ってる社がありその磐船が小さいながら光ってた。祓所はススキのようなものがあった。小さな池のようなのがあった。暑いときに来たので涼しい感じだった。垂仁天皇の皇女倭姫命が勅命を負い、天照皇大御神の霊代をお祀りできる所を求めて旅してた。一宮の今伊勢あたりに泊まってる時に地元民の奉仕により建てられたのが酒見神社のはじまりとのこと。文徳天皇の時に今伊勢ではよいお米がとれたので伊勢の社に仕える大邑刀自、小邑刀自の酒造りの2人が勅命を負い、皇太神宮より大酒甕を二個携帯され当宮山に遣わされ、伊勢の春と秋の祭りに供える酒を造ったとのこと。ちなみにどぶ酒などは各地で造られてたが清酒の醸造は酒見が最初とされ酒見神社は清酒醸造の元祖とのこと。
延喜式神名帳の尾張國中島郡の項に記載のある式内社。御祭神は天照皇大御神、酒彌豆男神、酒美豆女神となっている。この付近には倭姫命行幸の伝承が色濃く残っていて、当社はその中島宮の跡といわれている。今伊勢町という地名もその名残である。また大字が神戸となっているのは、当地が酒見御厨という伊勢神宮の御厨であったことを示すものだろう。倭姫命が当地を訪れた際、村人により総丸柱、草葺屋根の社が建てられたが、その名残が本殿裏にある倭姫神社。中まではみることができなかったが、吹抜きの宮と呼ばれるその小さな社は地面に板を張るだけで、腰板もない造り。また、社伝によると、ここは清酒作りが最初に行われたところといい、本殿裏に清酒作りの使用された大きな甕が二つ、地中に埋められている。当社の社殿は北向きで、その方角のほぼ直線上、約800m先には目久井古墳(今伊勢車塚古墳)がある。5世紀前半の前方後円墳で、古墳群の主墳である。当社は当古墳の被葬者との関係もあるのかもしれない。
6月に訪問しました。Instagramにて、花手水を探していたらやっと見つけたのですぐ向かいました!着いたものの駐車場がわからず、ひたすら車でうろついてやっと見つけました!周辺道路は一方通行がおおいので間違えるとほんとにぐるぐる回ります。笑駐車場のピンクの紫陽花がとてもきれいです。大きな池があり噴水と鯉がたくさんいます。花手水舎がとても綺麗でたくさんの紫陽花が飾ってありました。ちょうど管理人さんがみえて、お話聞いたところたくさんの人に来て欲しいから紫陽花を近所から持ち寄って来ているそう。神社のあちらこちらに紫陽花の定植をし始めているようです。中も整備されており、大きな神馬や願い石、ほかにもたくさんのスポットがあります。
一宮の 酒見神社は 毎年初詣に来ます。人も少なく 気軽に来られます。おみくじも破魔矢もありますよ~。
ちょっと興奮しました。神社名に酒、面白いなと調べてみたら、初めて清酒が作られた場所で、伊勢神宮のお神酒も作っていたとある。だけではなく、なんと、伊勢神宮が今の地に定まる前、一時的に候補地にされた元伊勢でもあると。そう言えば、地名は一宮市今伊勢町、しかもその下は「神戸」だって。符合が合い過ぎるなあ。あまり時間がなかったから、また行ってみよう。
元伊勢巡りで伺いました。元伊勢15番目、倭姫命の9番目の遷座地と言われてる尾張国中嶋宮(なかしまのみや)。皇女倭姫命が垂仁天皇十年に美濃国伊久良河宮に四年滞在、その後、尾張国中嶋宮に遷座、三カ月逗留したとされている。名前の通りお酒造りに長けた職人を呼び寄せて黒酒(くろき)と白酒(しろき)の大甕2個を伊勢神宮に奉納したと記録されてます。
元伊勢伝承地の中嶋宮。
『今伊勢』にある『元伊勢』崇神天皇6年、百姓の流離・背叛など国内情勢が不安定となります。第10代崇神天皇は、荒れた原因が「天照大神(アマテラスオオミカミ)・倭大国魂(ヤマトノオオクニタマ)」を天皇の宮に住まわせ、同じ場所で食事をして寝る「神人共食」「同床共殿」失礼なことしていることに原因があると感じました。崇神天皇の指示により、自身の娘である、皇女豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)が「御杖代(みつえしろ)」となって天照大神を戴き、遷座地を求め大和を発ちました。その後、天照大神の安置できる場所を確定できぬまま豊鋤入姫命は亡くなり、その遺志を継いだのが、第11代垂任天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)です。倭姫命は、倭国→伊賀国→淡海国→そして美濃国・伊久良河宮経て、ここ、尾張国にたどり着きます。当時この地域は、浅瀬の海となっており天照大神を船にのせ、中島にたどり着きました。地域一帯は、倭姫命の出身、彦坐王一族が治めており、所以深く、知り合いも多い地域でした。中嶋宮は 元伊勢15番目、倭姫命の9番目の遷座地といわれ、酒見神社は、中嶋宮であったのではないかといわれています。今伊勢地区は、昔、伊勢神宮領の、神戸(かんべ)として存在していました。酒造師が勅命を受け伊勢皇太神宮より当宮山に遣わされ伊勢神宮にお供えする御神酒を造っていた地域でもあります。倭姫命は、尾張の地に3ヶ月滞在し、桑名野代宮に旅立たれました。この地には、遷座目的ではなく旧知の親戚に会いに来ていたのではないでしょか。豊鋤入姫命・倭姫命が、伊勢に落ち着くまで80年以上の間天照大神は、諸国を転々を転々とします。その間、天照大神を祀った場所を「元伊勢」と呼ばれます。「元伊勢」の地に、「今伊勢」の地名が冠されているのは、一体どういった謂わなのでしょうか?「今伊勢(イマイセ)」という地名は興味深い地名です。一説には、近くの石刀神社がある「馬寄(ウマヨセ)」という地名の詠みが「イマイセ」に転じた、とされているようです。石刀神社境内の由緒書きに、「当地馬寄は往古、今寄の庄と云い....」とあり「馬寄」という地名があったことは間違いがありません。しかし、伊勢にも関係が深い地域であることも間違いがありません。『今伊勢』にある『元伊勢』酒見神社天照大神の足跡がのこる、パワースポットです。
名前 |
酒見神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0586-73-1365 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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紫陽花が綺麗でした。静かな雰囲気の神社です。奥へ進んだ所に参拝者用と書かれた駐車場がありました。