住宅地に潜む威厳の大原不動尊。
大原不動尊の特徴
蛇窪神社が行う祭祀で祈願できるお不動さんです。
大井町線戸越公園駅から商店街を南に進むとあります。
住宅地の中に位置する小さな不動尊ですが、不動の威厳が漂います。
願い事は、いつ叶うのかな。
■しながわ昔話「動かなかった不動尊」大井町線の戸越公園駅から商店街を南に250メートルほど行ったところに十字路があり、さらに少し進むと大原不動尊(豊町五丁目)があります。お堂は大正八年(1919)に建てられたもので、六十六部廻国供養塔を台座にして、石で造られた不動尊が本尊として祀られています。三百年ほど前の夏の暑い日、仏教を修行する人が不動尊をせおい、汗をふきふき歩いていました。「ふうふう、暑くてかなわない」松や杉などの大きな木が立ち並ぶところまでくると、「涼しそうな木陰だ。少し休んでいこう」と不動尊をおろして休憩しました。少し休むと元気が出たので、「さて、出かけるか」と、不動尊をかつぎあげようとしましたが、びくともしません。村人にも手伝ってもらいましたが、ついに動かすことができませんでした。困りはて、「お不動様が、この土地にとどまることを望まれているのでしょう」と持ち上げるのをあきらめ、村人によく頼んでその場を立ち去っていきました。それから何十年かたったころ、川崎領(現川崎市)に住む釋宜縁(しゃくぎえん)というお坊さんが、石で造られた六十六部廻国供養塔を馬に乗せて運んでいました。急に雨が降り出したので、馬をせきたてながら進むと、大木がしげる場所を見つけ、雨やどりをしました。しばらくすると雨はあがりましたが、馬は動こうとしません。お坊さんも手伝って何とかして馬を進ませようとしましたが、だめでした。しかたがないので、供養塔を馬からおろし、通りに面した場所に置きました。やがて、その供養塔の右側面には品川道、千束道、左側面には池上道と刻まれ、村人の道しるべにもなったということです。そして供養塔の上に、近くに祀られていた不動尊が重ねて置かれ、現在のようなかたちになりました。【六十六部廻国】全国六十六カ国、一国一カ所の神社や寺などの神聖な場所を、願をかけるために、お経などをおさめて回りました。
東京都品川区豊町にある大原不動尊の限定書き置き御朱印を頂きに参拝。己巳の日限定で開かれる地元商店街のへびくぼ市の日にしか頒布されない書き置き御朱印があります。御朱印は戸越公園駅近くの広場に、その日だけ簡易授与所が開かれていてそこで授与頂けます。すぐ側のビル裏にある豊川稲荷のご分社の書き置き御朱印もそこで頒布されてます。
商店街の一角にある小さなお寺です。(お寺ですが、蛇窪神社の傘下のため神社の扱いのようです。私は意味がわかりません)己巳の日は御朱印は別の場所になりますがいただけます。
大原不動尊。定期的に掃き清められている不動尊。江戸元禄の頃、上総の国(千葉県)大原からこの地に運ばれ祀られたため「大原不動尊」と呼ばれている。品川区のホームページ、荏原地区の指定文化財・有形民俗第24号によると。・大原不動堂内石造供養塔群天和元(1681)年と天和2年造立の板碑型、元禄元(1688)年造立の笠塔婆型の庚申供養塔、貞享4(1687)年造立の庚申燈籠。他に享保17(1732)年造立の六十六部廻国供養道標。いずれも上蛇窪村の村民によって造立された。 とあります。
住宅地の中にある小さな不動尊ですが、何気なく威厳を感じるものがありました。
名前 |
大原不動尊 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ

蛇窪神社が祭祀を行うお不動さん。一般の参拝者は仏として拝めば良いです。真言を唱えれば尚善し。