1925年の歴史的遺産、植柳小学校。
植柳小学校 旧講堂の特徴
植柳小学校旧講堂は、歴史的価値ある建築遺産です。
敷地内の栽柳園では、庭園の見学が楽しめます。
母校として、地元の人々に愛され続けています。
あまり入ることができなくなったけど、我が母校ですからね。前はもっと綺麗にしてたと思うけどな。
植柳小学校の敷地内にある庭園(栽柳園)の見学に訪れた際に、偶然見つけた歴史的に価値のある建築遺産です。建物内には入れませんが、威風堂々とした外観は当時の方達の思いを十分に伝えてくれます。この建物は、大正十四(1925)年に植柳小学校の講堂として、植柳村の村人達が子供の為にお金を出し合って建てたものです。この時、植柳出身で、ヨーロッパに3年間留学し、海外の建造物を多く見てきた坂田道男氏(1887〜1973、初代八代市長)は、誇りに思える建物の中で子供達に学んで欲しいと願い、また関東大震災(1923)直後でもあった為、安全で丈夫な建物が良いという考えから、当時の最新技術であった鉄筋コンクリート造で建てられました。セメントは当時球磨川河口にあった日本セメント工場から安く提供してもらい、砂利は村の青年団達の奉仕作業で球磨川から運びました。講堂の正面中央部には、車寄せの付いた玄関が設けられ、ギリシャ神殿を思わせる大きな柱が立っています。ここを中心に窓やパラペット(屋根を超えて立ち上がる壁面)が左右対称に配置されているのが特徴です。これは当時ヨーロッパで流行していた新古典主義という建築様式にアレンジを加えたもので、設計者は当時熊本市役所に勤めていた西本清樹氏です。大正時代と鉄筋コンクリート造による洋風建築として当時の姿を伝えている貴重な建造物です。(2018/05/31)
名前 |
植柳小学校 旧講堂 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0965-35-1933 |
住所 |
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HP |
http://www.city.yatsushiro.lg.jp/kankou/kiji003392/index.html |
評価 |
4.2 |
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当時の八代市長の手により大正14年(1925)に植柳小学校の講堂として建てられました。平面の構成は主室である講堂と付属室として二つの部屋からなり、講堂の正面中央には車寄せの付いた玄関が設けられています。外観は全体として左右対称を基本として古典的な手法を用いたデザインです。当時ヨーロッパを席捲していた新古典主義※(表現主義)の洋式建築に影響を受けて設計されたものと考えられ、大正時代の鉄筋コンクリート造りの建築物として当時の姿を伝えている貴重なものです。※新古典主義建築とは 18世紀の後期にフランスではじまった建築様式で、古代の建築を理想とするもの。 広い意味では、”古典を見直そう”といった動きの事。