福岡藩主の歴史を感じる東長寺。
福岡藩主黒田家墓所(東長寺)の特徴
福岡藩主黒田家の墓所がある東長寺です。
二代藩主黒田忠之、三代藩主の墓があります。
江戸時代に菩提寺として親しまれています。
東長寺にある福岡藩主黒田家の墓所。歴代の福岡藩主3人の墓所があります。東長寺を菩提寺と定めた二代藩主黒田忠之の石塔は国内2番目の大きさを誇ります。
2025.5.10 東長寺訪問。事前調査もろくにしていなかったので知りませんでしたが、境内の中に黒田藩主の墓所があるんですね。
位于东长寺内一隅的墓地,曾经福冈藩主黑田家第二代, 第三代和第八代藩主的埋葬地,旁边还有陪葬的五位家臣。东长寺可以算是藩主黑田家的家寺。
Cemetery of the Kuroda clan, lords of Fukuoka domain. Interesting to read the story of the 5 retainers whom took their lives.
福岡二代藩主黒田忠之(1602~1654)、三代藩主黒田光之(1628~1707)、八代藩主黒田治高(1754~1782)の墓所。高さ5メートルを超える花崗岩製の五輪塔。福岡藩は、関ヶ原の戦いの後、小早川秀秋に代わって黒田長政が初代藩主となって成立し、その名は黒田長政の出身地 である備前福岡(現在の岡山県)にちなんで命名された。
二代藩主黒田忠之、三代藩主黒田光之、八代藩主黒田治高のお三方が埋葬されています。墓碑は三藩主とも花崗岩製の五輪塔。福岡藩主 黒田家墓所めぐりをするなら、黒田官兵衛、黒田長政の墓所がある崇福寺もどうでしょうか。
東長寺(真言宗別格本山東長密寺)は、江戸時代には福岡藩主黒田家の菩提寺となっていました。第二代、三代、八代藩主の墓所があります。
東長寺は、福岡藩主・黒田家の二・三・八代の菩提寺で、黒田家の準菩提寺となっています。
帰省の折に東長寺にご挨拶に行きました。博多駅から歩いて10分程で東長寺に辿り着き、正門から入って境内を左手に歩いて行くと、正面に見えてきます。福岡の基礎を築いた黒田家、二代藩主の功績に御礼申し上げます。以下、福岡市の文化財ホームページより抜粋させていただきました。大博通りに沿って、東長寺の築地塀越しに巨大な五輪塔がそびえている。福岡二代藩主黒田忠之(慶長7・1602~承応3年・1654)、三代藩主黒田光之(寛永5・1628~宝永4年・1707)、八代藩主黒田治高(宝暦4・1754~天明2年・1782)の墓所である。墓碑は三藩主とも花崗岩製の五輪塔であり、それぞれの墓碑は四十九本の花崗岩製の卒塔婆で囲まれている。承応3年(1654)2月12日に没した忠之の遺骸は、翌13日東長寺に安置され、在江戸の光之の命を待って3月21日同寺に葬られた。墓前に並ぶ5基の五輪塔はこの時殉死した田中五郎兵衛栄清(龍華院殿春庭永喜)、竹田助之進義成(春嶺院殿花心淨蓮)、長濱九郎右衛門重勝(修徳院殿道壽宗清)、深見五郎右衛門重昌(實相院殿一如真空)、尾上二左衛門勝義(陽桃院殿長壽正仙)の墓碑である。また傍らには、同じくこの時殉死した明厳院(山伏秀栄)の墓碑が建つ。宝永4年(1707)5月20日に没した光之の遺骸は、22日東長寺に安置され、26日葬送の儀式があって棺は仮屋に納められた。天明2年(1782)8月21日の治高の逝去は、佐賀藩への長崎番交代依頼、幕府との養嗣子相続確認のため、10月24日まで公表されなかった。逝去当日崇福寺で法事が営まれた後、11月3日遺骸は東長寺に安置された。
| 名前 |
福岡藩主黒田家墓所(東長寺) |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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2025/03/22来訪。博多旧市街博多寺社めぐりコース 紫05です。巨大な五輪塔がそびえている。福岡藩二代藩主黒田忠之(慶長7・1602~承応3年・1654)の墓所です。墓碑は三藩主とも花崗岩製の五輪塔であり、それぞれが四十九本の花崗岩製の卒塔婆で囲まれているそうです。博多寺社めぐりコース 紫05の案内板に解説が書かれているので興味のある方は参考に読んでんでみてはどうでしょうか。