広田弘毅生誕地で歴史を感じる。
廣田弘毅先生生誕之地の特徴
廣田弘毅先生の生誕の地はひっそりとした佇まいです。
城山三郎の落日燃ゆを読みながら訪れる価値があります。
東京帝国大学卒の元首相の歴史を感じる場所です。
元首相、廣田弘毅先生生誕地あまり主張せず駐車場の隅に見落とす位こっそりある所に美しい生き様を感じます。
コインパーキングの入口脇にあるけど横に電柱もあるから南側から来たら見逃しちゃいます(^_^;)
東京帝国大学を卒業後、外務省に入省。欧米局長、オランダ公使、ソ連大使等を歴任。昭和8年(1933)斎藤内閣に内田外相の後任として入閣。11年(1936)3月、2・26事件後の組閣で首相に就任。敗戦後A級戦犯。極東国際軍事裁判で、文官中ただ1人絞首刑となる。しかし、判決は11人の裁判官中、3人が反対。オランダのベルト・レーリンク判事は「広田が戦争に反対したこと、そして彼が平和の維持とその後の平和の回復に最善を尽くしたということは、疑う余地が無い」と、無罪を主張。裁判において広田弘毅は、一切の弁解をせず戦争回避に努めたとは言え、結果として軍部の圧力に屈する事となり、戦争を阻止できなかった責任を自らに科し、裁判では一切の弁明を行わなかった。
六本松にも像あります!
名前 |
廣田弘毅先生生誕之地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.6 |
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城山三郎の「落日燃ゆ」を読んで広田弘毅さんの生誕の地を訪れました。つくづく、生まれた時代が悪かった・・・