60年前の井泉、友利元島遺跡の深い歴史。
(県指定有形民俗文化財)城辺町の友利のあま井の特徴
あま井の入口には歴史的な経緯を示す文字盤が設置されています。
磨耗した階段を降りると、洞窟のような深い構造が広がっています。
60数年前まで使用されていた歴史ある井戸で、訪問者を魅了します。
なかなか探せず、人に聞こうと思っても人にも会わず交番に行ってもお巡りさんも留守でした。やっと見付けて入ったのですが石の階段は滑って怖く、スマホを持って入れませんでした。一人で行って滑って転んだら、大変です!でも行って良かったです。水の大切さと昔の生活の大変さが良く分かりました。地下ダム資料館にも行って頂くとより宮古島の水の歴史が分かります。
入口の文字盤にあま井の作られた経緯が書いてあり磨耗した階段を降りると洞窟のようになっていてかなり、怖かったです。足元は滑るのと降りていくと井戸があり、その奥にも階段があるのですが、暗くて行けないです。昔の井戸みたいで水をくみに沢山の女性が階段がすり減る位階段を昇り降りして使っていたみたいです、なんか神秘的で怖かったですw
結構深い井戸。歩いて水が湧くところまで行けるが照明はないのでまっくら。
ここから、水を汲み上げて運んでいたとは。水の大切さを学べる場所です。ただし、中は暗く、灯り(携帯電話でも可)が必要です。滑りますので、十分気をつけてくださいね❗
60数年前まで使われていたようです。当時の水確保の大変さがうかがえます。夕方に行ったら中は暗くて深いし怖くて日中に再度行ったら…
城辺の字砂川と字友利の境界にあって、友利元島遺跡の西側に隣接する自然洞窟の井泉である。降り口から湧き口までの深さは約20m、自然洞窟井泉の規模としては大きく、水量も豊かである。1965(昭和40)年に城辺で上水道が普及する以前は、この井泉が飲料水を始め、生活を営む上の貴重な水資源であった。水を汲むのは婦女子の日課で、あま井に降りる石段の側面の岩には摩滅してしまったところが数箇所あり、当時の苦労がしのばれる。あま井について、「雍正旧記」(1727年)には「掘年数不相知」と記されている。友利・砂川・新里の各元島(旧集落)の住民が、「明和の大津波」(1771年)以前から現在地への集落移動後も長く利用した井泉である。地域住民の水利用のあり方やその歴史的変遷を知る上でも価値の高い井泉である。『宮古島アプリ綾道HPより』
名前 |
(県指定有形民俗文化財)城辺町の友利のあま井 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0980-72-3751 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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中は涼しくですごく深くて面白かったが、一番下は泥ですべるので注意が必要。