牛込氏の歴史を感じる光照寺。
樹王山 正覚院 光照寺の特徴
都会の喧騒を忘れさせる、別世界の静けさを持つお寺です。
出羽松山藩主、酒井家の菩提寺として歴史的な背景があります。
牛込城の跡地に位置し、1603年に創建された浄土宗のお寺です。
御朱印 on 21Mar2024
光照寺は出羽松山藩主酒井氏の菩提寺で、同氏歴代の墓がある。松山藩は庄内藩の支藩で25000石の小藩ながら墓域は広く、多数の墓塔が立ち並ぶ。江戸時代は全国の大名が江戸と国元にそれぞれ墓地を作ったが、東京で完全な形で残る大名墓地はきわめて少ない。東日本大震災後は墓石倒壊の恐れがあるので、一般の立ち入りは禁止されている。写真の最後から2枚目が初代藩主・酒井忠恒の墓。光照寺一帯は戦国時代には牛込城が築かれていた。上野国(群馬県)の大胡氏の庶流が小田原北条氏に属して牛込に築城し、牛込氏を名乗ったとされている(系譜的には疑問も多い)。近くの赤城神社は牛込氏が故郷の赤城神社の神を勧請したものというから、上野国が先祖の地であることは確かなようだ。城跡は宅地開発で地形が変化したため、土塁、空堀などの遺構は一切確認できない。地下鉄早稲田駅近くの宗参寺には牛込氏歴代の墓もある。
住宅地にあり目立ちませんが、中に入ると急に都会の喧騒から離れた別世界になります。お墓もたくさんあります。
神楽坂に初めて行き善國寺と安養寺に行ったのですが安養寺の近くに設置していた地図に載っていたので、行きました。神楽坂の途中、脇道に入り地蔵坂という坂を登るとありました。浄土宗のお寺で寺務所に行くととても丁寧に書いてくださりました。玄関先で待っていましたがいろいろお気遣い頂きました。ありがとうございました!
中世の豪族牛込氏の城跡に建つ浄土宗寺院。旅の途中で亡くなった人たちの「諸国旅人供養碑」がある。
お忙しい様子でしたが、ご朱印の対応がとても丁寧で恐縮してしまいました。
お堂は閉まっていました。お堂の扉はアルミサッシで建物自体も新しい」お寺さんです。手漕ぎポンプの井戸があります。境内も清潔で、気持ち良いお寺さんでした。
ご住職の説法はとてもわかりやすく、親しみのある言葉でお話してくださいます。ありがたいです。
境内の撮影は許可制。お寺の入り口の向かい側に大きなギンナンの木があった。樹齢260年。新宿区指定の保護樹木らしい。境内に入る。まず、本堂左手前に元禄九年銘の手水石を確認。蓮が植えられていた。酒井家が奉納したものと側面に刻まれている。次に、境内左手に如来立像あり。下腹部に人名が彫られている。その隣に海ほうづき供養塔なるものがある。子細は現地観察から不明。多分、明治以降のもの。本堂正面先には出羽酒井家の墓所がある。目立つので直ぐに分かるだろう。ただし、東日本大震災が原因で、墓石が崩れ落ちる危険があるため、関係者以外立入禁止となっている。遠くから見るに墓石の側面に開いた蓮が彫られているのが分かる。また、墓所の奥(本堂左手側)に奥田抱生の墓あり。自然石型のお墓で、阿弥陀如来の種子が刻まれている。特に案内板はなし。奥田の墓から最奥に進むと「諸国人供養碑」あり。区が設置した案内板がある。供養碑は兜巾型で、正面に南無阿弥陀仏と刻まれていた。その右隣は万治三年と刻まれた塔が寛文十二年と刻まれた台座の上に乗っている。造立趣旨は良く分からないが、お墓かと思われる。その右隣は板樋型の墓石で、三人の戒名と没年月日が刻まれている。その更に右は、おそらく尼僧のお墓。そこから墓所南左端角に向かって移動すると「便々館湖鯉鮒の墓」が見える。これは案内板があるので、目立つはず。
| 名前 |
樹王山 正覚院 光照寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
03-3260-1025 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 10:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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浄土宗のお寺さんで1603年に神田に創建されて、牛込城跡の現在の地に1645年に移転して来ました。出羽松山藩主酒井家の菩提寺でしたが数多くの崇敬を集めています。境内には東京のほうずき業者が建てた珍しい「海ほうずき供養塔」、徳川家の奥右筆だった「大久保北隠の墓」、【区登録文化財】の「諸国旅人供養碑」や本殿には「地蔵菩薩座像」「十一面観音座像」「阿弥陀三尊来迎図」等の文化財を所蔵しています。本堂右手にある庫裏玄関にて3種類の書き置きの御朱印を頂きました。