歴史感じる呉津彦神社の巨樹。
呉津彦神社の特徴
石段を登った右側にはムクロジの巨樹が存在する神社です。
呉津彦神社には、木花咲耶姫命と天児屋根命の祠が祀られています。
この地域の地名の由来である呉人が伝えた歴史が感じられる場所です。
呉津彦神社(くれつひこ) 式内社 旧村社御祭神 呉津孫神、木花咲耶姫命、天児屋根命壇上に二つの祠があり、向かって右が木花咲耶姫命、左が天児屋根命だそうです。しかし呉津孫神は何処でしょう。日中関係が難しくなってる神様もどこかへ移動したのかな。二つの祠の壇の階段下に意味不明な祠が一つ。賽銭箱かな。また右手に二つのコンクリートブロックで作った祠がありますが、中は空っぽ。さらに右手の雑木の中に陽石のような石があります。毘沙門の「毘」という文字だけは読めますが、何かは分りません。壇の左側には石仏が一体ありますが、仏様のお名前は分りません。神社の隣が寺になっていますので、石仏ならそちらに置かれるものでしょうが、なぜかこの石仏だけは神社側にあります。分からないことだらけの謎の神社です。
式内社 大和國高市郡 呉津孫神社ですこのお社の起源はー『日本書紀』雄略紀からー雄略天皇は 朝廷書記官で渡来人の「身狭村主青(むさのすぐりあお)」と「檜隈民使博徳(ひのくまのたみのつかいはかとこ)」を呉の国に派遣する呉王が返礼として献ずる呉人は 主に機織りに関わる 漢織(あやはとり) 呉織(くれはとり) 衣縫の兄媛(えひめ) 弟媛(おとひめ)等であったこれらの呉人を住まわせたので 呉原(くれはら)と名付けた呉原が訛り栗原の地名に転化 これが今の栗原の由来らしくこの呉人らが 氏神として祖神「呉津孫命」を祀ったのが起源。
名前 |
呉津彦神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=34145 |
評価 |
3.7 |
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石段を登って右側にムクロジの巨樹がある。幹周り:4.07m、樹高:25m、登録No.48085根張りが見事で空洞等もない。ムクロジとしてはかなりの大きさになる。